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    <title>池上惇ブログ文殊文庫便り</title>
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    <description>池上惇（京都大学名誉教授／文化政策まちづくり大学院大学設立準備室室長）によるコラムです。&lt;br /&gt;
できるだけ毎日の更新を目指しております。&lt;br /&gt;
皆様からのテーマのご希望も受け付けております。&lt;br /&gt;
ご希望の方はご連絡下さい。</description>
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    <title>池上惇　│　私の教育人生　第35部　8　「内村鑑三の地人論」（2/6/'10）</title>
    <description>今日の話題　　2010年2月6日
池上　惇

━━第35部━持続可能な創造型ストック━━━━━━
私の教育人生　1　内村鑑三の地人論
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


あすは、各地の研究交流の貴重な機会「地元学ネットワーク交流会」
「各位の研究成果交流会」の日なので、地元学に...</description>
<content:encoded><![CDATA[
<span style="font-size:medium;">今日の話題　　2010年2月6日<br />
池上　惇<br />
<br />
━━第35部━持続可能な創造型ストック━━━━━━<br />
私の教育人生　1　内村鑑三の地人論<br />
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br />
<br />
<br />
あすは、各地の研究交流の貴重な機会「地元学ネットワーク交流会」<br />
「各位の研究成果交流会」の日なので、地元学についての私見を聞い<br />
ていただける事となった。<br />
前回、１２月末ごろに例会を持っているので、そのときから今日まで、<br />
私が勉強した成果をご報告することになる。<br />
<br />
この間の私なりの成果は二つあった。<br />
一つは、ある学会からの原稿依頼で「ルーラル・サスティナビリティ」<br />
論の展開である。尊敬する友人からのご依頼であったので、正月返上<br />
で頑張った。<br />
いま一つが、私の本棚でもご紹介した、内村鑑三『地人論』岩波書店<br />
（文庫）1942年である。<br />
これは、地元学や「文化による‘まちづくり’」論、地域文化政策や<br />
企業文化政策の「原論」といえる古典である。<br />
このほか、年末に、岩波からでた、『フェアトレード』も参考になった。<br />
<br />
本書の解説を執筆した鈴木俊朗氏は『地人論』について、内村は、<br />
これを、”Spirit of Geography”（地理の精神）とも呼んでいたそうだ。<br />
確かに、内村鑑三は、この地球上に暮らす人々＝地球市民の自然や<br />
歴史に対する邂逅、あるいは詩としての「地の理」を展開して見せて<br />
いる。<br />
地の理とは、自然に内在する、あるいは、神がつくりたもうた、地球上<br />
の‘暮らしのデザイン’である。それは、固有の潜在力を持っていて、<br />
この潜在力を無視して、町や村を作ると、資源が浪費されて、人の<br />
生命と生活が危機に直面する。いわゆる環境問題や自殺、孤立、教育<br />
危機が迫ってくる。<br />
人が、経験知と学習によって、この固有の価値を見出したとき、神の<br />
つくりたもうた‘デザイン’が、見えるようになる。<br />
固有の素材が生かされ、リサイクルが進み、創造的なアイディアが<br />
生まれて、自然との共生の下での人々の繋がりが再生される。<br />
そして、人々に寄り添った「文化による‘まちづくり’」が進む。<br />
人間が復興してくるのだ。<br />
<br />
彼は、地球の表層ではあるが人類の‘営み’という意味では深い意味<br />
を持つものとして、地理学を位置づけた。しかし、この地理学は私たち<br />
が大学や高校で学んだものとは全く違う。<br />
彼は、彼流の地理学、地中の構造を知る地質・鉱物学、天空を知る<br />
天文学の３者をもって世界の繋がりを認識しようとする「有限なる<br />
人知」の素晴らしさと限界を提示しようとした。<br />
この構想力には驚かされる。<br />
「地質学の如く深からず、天文学の如く高からず、現世的にして皮相的<br />
なる地理学は探り易くて解し易し、然れども其の解し易きが故に吾人<br />
これを思うこと稀なリ、その解し易きが故に地の理は人の多く究めざる<br />
所なり、<br />
皮相的たる必ずしも浅薄の意にあらず、慈母の柔顔は彼女心情の現出<br />
ならずや、現世的たる必ずしも寸時の意にあらず、現在とは過去と未来<br />
を繋ぐ永遠の一部分たるにあらずや。<br />
地理学は実に諸学の基なり、我ら地の事を知らざるにいかで天の事を<br />
悟るを得んや、吾人の智識は地を以って始む、未だ腔内五臓の妙器ある<br />
を知らざる前に我等は巳に山川の子供なり、その阜丘は我等の遊園なり、<br />
その渓川は我等の漁場なり、我等に心霊の奥殿を開かるるありて驚愕<br />
以てその無限を探らんとするの念起こる前に、白頂秀峰先づ我等に詩感<br />
を起し、漲流怒涛先ず我等の静思を攪乱す、<br />
地を以て始め天を以て終わる、<br />
殖産、政治、美術、文学、宗教は此絶頂絶下両極端に亙る人生の楷段<br />
なり、<br />
地を究めずして此楷梯を昇らんとするものは夢に雲井に上るが如く、<br />
発点なきが故に着点に達するを得ざる人なり。」（12−13ページ）<br />
<br />
われわれは、各地に生まれてから昇天するまで、各地に固有の地の理<br />
を究め、産業や経済を起し、政治や行政を行い、子や人を育て、美や文<br />
を追求し、自然や神に祈る。<br />
「仕事を起こし、地域を創り、人を育て、文化を高める」‘営み’によっ<br />
て、先人から学び、経験を蓄積し、次世代に伝える。<br />
そして、鑑三のように、「慈母の柔顔」から「彼女の心情の現出」を読み<br />
取る力量、また、「現世」の一瞬から「現在とは過去と未来を繋ぐ永遠<br />
の一部分」であると喝破する凄さを身につける。地域固有の文化や文化<br />
資源と一体になった経済、そして、政治や行政、教育や文化、これら<br />
があってこその人生である。<br />
<br />
この書は、地球人類に対する、深い認識と、それを基礎とした各地域<br />
住民の生きるための智恵や、驚くべき構想力について世界各地を引き<br />
合いに出しながら、凝縮して示した。<br />
例えば、彼が殖産というのは、経済に関わることがらである。<br />
経済について言う。<br />
「地理なしの殖産は人間としてのモラルや自覚のない人々のそれで<br />
ある。殖産とはいえない。・・・・・・地理学に暗ければこそ至少の<br />
経済上の変動により我国幾多の有望資産家をして金融緩慢を嘆ぜしめ、<br />
狭隘なる領土の上に無限の欲望を幽閉し、権力に頼み、同胞を圧し<br />
以て天与の聖欲を伸ばし得ざらしむ、」（13−14ページ）<br />
彼は吉田松陰の次の言葉を引いている。<br />
「地を離るれば人なし、人を離るれば事なし、故に事を成さんと欲す<br />
る者は応に地理を究むべし」（16ページ）<br />
また、陽明子を引いて言う。<br />
「人格高潔で人から尊敬され学識ある人物にとっては、天地万物は<br />
一体のものだ。彼は、天下を一家としてみるから、中国もその一家の<br />
一人に過ぎない」（21ページ）<br />
彼は、まさに、地球市民の発見者であった。<br />
本書、解説者の鈴木によれば、内村鑑三自身は、本書刊行後、1919年、<br />
日誌の中で、次のように述べている。<br />
『地人論の改訂に従事した、二十五年前に成りし自分の著述を読んで<br />
少なからず教へらるるところがあった、・・・・・今に至って地理学者<br />
とならずして聖書学者となりし事を悔いざるを得ない、詩人シルレル<br />
が言いし如く「自由は山に在り、腐敗の気は未だ嘗て其新鮮なる気流<br />
を汚せしことなし、あ丶自然は到る所に完全なり、唯人のみが憂苦を<br />
以って之を毀損す」と、然り自由は山に在り海に在り、・・・・あ丶人<br />
よ青年よ、汝等の自由を求めんと欲せば・・・山と海と地理学とに行<br />
けよ。』（198ページ）<br />
世界の山川を縦横に駆け巡りつつ、よき出会いをもって自分を高める<br />
人々。<br />
かれらは、歴史の繋がりを発見し、慈母の表情を介して人々の繋がり<br />
を見出す。<br />
<br />
私たちが研究対象としてきた「文化による‘まちづくり’」を担う人々<br />
の歓びや悲しみ、叡智や学識もまた、これらの発見の上で展開されて<br />
いる。<br />
日本の学会は保守的なところも残っているから、「まちづくり」は、学術<br />
における概念ではない、などと、いう人もいる。<br />
しかし、内村によれば、神のつくりたもうた「まちづくり」のデザイン<br />
を研究し、発見することは、誰にとってもこの上ない研究対象であり、<br />
殖産、経済、政治、美術、文学、宗教などを究める基礎的前提である。<br />
それは、各地の固有の人々の‘生きざま’の研究とその方向性の研究<br />
でもあって、地理学というよりも、彼が、この書物のタイトルに選ん<br />
だ「地人論」そのものであろう。<br />
<br />
先のルーラル・サスティナビリティとを、農村的生活において維持さ<br />
れるべきもの、と、理解すれば、地人こそは、まさに、その象徴とい<br />
うべきであろうか。</span>
]]></content:encoded>
    <dc:subject></dc:subject>
    <dc:date>2010-02-06T15:46:51+09:00</dc:date>
    <dc:creator>ikegami</dc:creator>
    <dc:rights>ikegami</dc:rights>
  </item>

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    <title>池上惇　│　私の教育人生　第35部　7　「新しい職人の人格と技術」（2/5/'10）</title>
    <description>今日の話題　　2010年2月5日
池上　惇

━━第35部━持続可能な創造型ストック━━━━━━
私の教育人生　7　新しい職人の人格と技術
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


今日は、「私の本棚」で、高久多美男編集・中田宏コーディネイター
『Japanist』第４号（2010年1月25日）、...</description>
<content:encoded><![CDATA[
<span style="font-size:medium;">今日の話題　　2010年2月5日<br />
池上　惇<br />
<br />
━━第35部━持続可能な創造型ストック━━━━━━<br />
私の教育人生　7　新しい職人の人格と技術<br />
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br />
<br />
<br />
今日は、「私の本棚」で、高久多美男編集・中田宏コーディネイター<br />
『Japanist』第４号（2010年1月25日）、関口暁子「伝統工芸の<br />
発展形」をご紹介した。<br />
<br />
福原義春先生からいただいた雑誌で、お薦めの論文である。<br />
関口さんは、航空会社、旅行企画部、ドイツの商社を経て、伝統工芸<br />
品産地プロデユーサー、地域再生支援doppo代表。<br />
「職人とは何か」に関心を持つ私としては、答えを見出す上で最高の<br />
文献であった。<br />
<br />
同氏は、「北陸先端科学技術大学院大学、石川伝統工芸イノベータ養成<br />
ユニット」における、養成コース二期生の九谷焼作家、佐久間忍氏<br />
制作の‘マイちょこ’を手がかりにして、現代の職人増に迫ってゆか<br />
れる。<br />
この九谷焼は、素晴らしいデザインで、いかにも、使い易そう。<br />
そして、伝統的な加賀友禅の袋。<br />
一番の注目は、「・・・日本は百年以上続く老舗の会社が世界で最も<br />
多く、伝統工芸で培ってきた職人技が現代の先端技術をも支えている<br />
という事実」である。<br />
優秀な職人たちと、それを理解する国民こそ、日本文化の誇りである。<br />
（110ページ）<br />
伝統工芸の生産は、人から人へと‘つながる’なかで、名人らから<br />
伝えられてきた技術だけでなくて、妥協を許さない自立した精神性<br />
を育てる。<br />
記事を読んでいるうちに、新しい職人像のイメージが明らかになって<br />
きた。<br />
<br />
昔は、とくに、戦前の日本では、職人の世界には‘パタナリズム’<br />
‘徒弟制度’と呼ばれる上意下達の鉄則があり、親方が弟子に対する、<br />
一種の「経済外的強制力」を持っていた。しかし、戦後の民主化や<br />
家族法の改革によって、いまや、学校で学ぶ自由な精神を持つ職人<br />
が登場した。<br />
そこには「自覚的意思と思想」をもつ職人が登場する。<br />
この新職人は、芸術家と同様に、芸術的表現の技術を持ち、同時に、<br />
創造的な自立の精神を持つ。<br />
この自由への道は、決して、恣意、すなわち、自己の利益追求の自由<br />
を意味しない。<br />
そして、よりも‘他’への義務を果たす自由を追求する。<br />
では、‘他’への義務を果たす自由とは何か。‘他’とは何だろう。<br />
例えば、陶磁器を扱うとき、かれらは、素材を一方的に、かつ、人工的<br />
に染め上げるのではなくて、素材のよさを活かす力を持つ。<br />
この力は、自然を敬愛する人格と、時間と労力を費やした自覚的な<br />
修練を通じて生み出される。<br />
新職人は、自立を背景に、自由で開かれた発想をもちつつ、この自由<br />
を生かして自然の齎した素材の潜在的な‘美と用’（美しく使って楽し<br />
い実用性）を、顕在化する。<br />
また、自然とのコミュニケーションを重ね、それを深く知る‘営み’、<br />
すなわち、植物や動物を育て、火や水で鉱物を変化させて仕事や生活<br />
に活かす中で生み出されてくる。<br />
工芸においては、彼らは、自分の関わる自然の素材の構造をよく知っ<br />
て、加工し表現する。<br />
そして、無理のある加工・表現は、自然の痛みとなり、内部構造に<br />
添った加工や表現は、自然の歓びとなるかのように感じる。彼らは、<br />
仕事と生活に地域固有の自然、景観、資源などを活かして生き抜く。<br />
そして、自分が、作品をつくり、表現できるのは、自分の恣意による<br />
ものではなくて、自然によって自分が生かされ、教えられた結果で<br />
あると考える。<br />
彼らは、自然の象徴である天や地、あるいは、先人の限りない教示<br />
や愛情によって、生かされているとの‘謙虚な自覚’をもつ。<br />
これは、自己を自然や歴史の‘うみだしたもの’、あるいは、それら<br />
の一部として自覚しつつ、自己抑制することを意味するだろう。<br />
新たな職人は「自然によって生かされていることを自覚し、感謝し、<br />
自然の恩の応える」。<br />
<br />
職人のことを考えているうちに、おや、これは、創造型経営者の哲学<br />
ではないか、と感じた。<br />
工芸の哲学を「企業経営の哲学」に置き換えると、日本の創造型経営<br />
論に接近できるのではないか。<br />
そういう目で見てみると、日本の経営者には「率先垂範型」で、職人的<br />
な思考の人が多い。<br />
また、自分で、趣味のようにして職人芸を持つ人々でもある。<br />
例えば、蘭の育成に関心を持ち、そこでの手仕事を磨かれていること<br />
もある。<br />
職人型の経営では、社長と社員の分業体制には、馴染まないで、社長は、<br />
上から命令する人ではなく、「先に進んで、後からも支える」タイプが<br />
多い。<br />
巨大企業となれば、そういう形は難しくなり、分業と官僚制の弊害<br />
に悩まされる。<br />
職人の哲学を基礎とした創造型経営の道、これがいま、求められて<br />
いるのかもしれない。</span>
]]></content:encoded>
    <dc:subject></dc:subject>
    <dc:date>2010-02-05T20:45:24+09:00</dc:date>
    <dc:creator>ikegami</dc:creator>
    <dc:rights>ikegami</dc:rights>
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    <link>http://kotoba.ruskincollege.org/?eid=1057865</link>
    <title>池上惇　│　私の教育人生　第35部　6　「農産型生活の再生」（2/4/'10）</title>
    <description>今日の話題　　2010年2月4日
池上　惇

━━第35部━持続可能な創造型ストック━━━━━━
私の教育人生　6　農産型生活の再生
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


昨日、古池先生の御高著を書評した。
同時に、ブログを、と思いつつ、リースの支払いに関するやりとりに
貴重な時...</description>
<content:encoded><![CDATA[
<span style="font-size:medium;">今日の話題　　2010年2月4日<br />
池上　惇<br />
<br />
━━第35部━持続可能な創造型ストック━━━━━━<br />
私の教育人生　6　農産型生活の再生<br />
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br />
<br />
<br />
昨日、古池先生の御高著を書評した。<br />
同時に、ブログを、と思いつつ、リースの支払いに関するやりとりに<br />
貴重な時間を取られ、今日になりました。申し訳ありません。<br />
最近は、実務を引き受けてくださる人が段々、減少して、自分でやる<br />
ほかなしと腹を決めました。<br />
やってみると、大変大事なもので、現金の移動に関わる友人たちの顔<br />
を思い浮かべながら仕事ができて幸せです。<br />
ただ、リース会社というのは、気位が高く、なれないミスをすると頭<br />
ごなしにしかれます。辛いですね。<br />
<br />
古池嘉和『観光地の賞味期限―「暮らしと観光」の文化論』春風社、<br />
2007年9月。<br />
は、書評で述べたように、現代観光事業の弱点を鋭く指摘し、本来の<br />
あるべき観光の姿を示唆した労作である。<br />
古池先生は、長年の友人で、瀬戸の陶磁器に魅せられて、研究を積ま<br />
れて、その研究で学位を取られた。<br />
先生とお話をしていて感じるのは、瀬戸を研究するなかで培われた職人<br />
生産人への敬意である。<br />
そして、かれら職人が、伝統の中で積み上げてきた、生産のノウハウ<br />
や生活の技術、それらを共有する家族や地域の人々との‘つながり’、<br />
愛着である。<br />
<br />
陶芸という生産行為は、恐らくは、人類が生存の中で体験してきた<br />
‘生きるための智恵’が結晶したものだろう。<br />
土を‘土壌’とする農業や林業に対して、陶芸は、土そのものを原料<br />
とするわけだから、鉱物にそれが本来ある形を与え、高熱で焼き上げ<br />
て、変化を起させて、内在する美しいものを目に見える形にする。<br />
陶磁器職人の生産現場を研究したものは、土と大気、炎のもつ圧倒的<br />
なエネルギーに圧倒される。<br />
そして、それを開花させる職人の意思と技は、歴代の名人や師匠たち<br />
が長い歴史を経て創造し、型を作り継承したものである。<br />
また、そのうちに、新たな人物が現れて、型を破ってあらたなものを<br />
創り出す。<br />
これは、革命的で、ダイナミックな営みでもある。<br />
<br />
ひとたび、このような経験知を持ったものは、地域を単に物見遊山の<br />
対象とされることに我慢がならない。<br />
陶磁器に限らず、地域社会の歴史と伝統は、ひとびとが生きるために、<br />
智慧を絞って、考え出し、腕を磨いて実践し、長い期間をかけて熟成<br />
してきたものだ。<br />
とりわけ、生産に関わる‘つながり’のなかで、共有された伝統の技<br />
や、制作意欲は、例えようもなく重い価値を持つ。<br />
これに触れることの出来る来訪者は心からの敬意を込めて、その地の<br />
職人に接し、学習し、同時に、自分自身の人生における体験を背景に<br />
して、多様な‘生産されたもの’が、なぜ、共感を呼びうるのか、を<br />
考え、人生を振り返る機会を獲得する。<br />
そして、生産者もまた、来訪者の人生経験を尊重し、共感に応え、反感<br />
を受け止めて、自分達の心の糧とする必要があろう。<br />
<br />
古池教授は、この両者のコミュニケーションが持続的に発展する土壌を<br />
「観光地」において培う方法を提案する。<br />
これは、地域力の涵養である。<br />
そして、それによって、商業観光やモータリゼーション・大量生産・<br />
大量消費・大量廃棄社会を制御することであった。<br />
この力は、伝統文化というストックを基礎に、絶えず、それを今に活<br />
かしうる新たなアイディアや、ノウハウによって成長する。<br />
そうなれば、ここで、創造的アイディアをつくりだす人々を生み出す<br />
こと、次世代にも、かかる人間をうみだす仕組みをつくることが必要<br />
である。<br />
この地域を統治する職人文化ともいうべきものは、筆者によれば、コン<br />
パクトな町や村の自治や寄り合い、結いなどの‘ひとをつなぐ’文化に<br />
よって持続的に再生される。<br />
このしくみは、日本人の自然を敬愛し、先覚の智慧を今に活かす伝統<br />
によって生み出されてきた。<br />
この文化が産業や水系や交通に浸透し、エネルギー供給システムまで<br />
をかえるとき、大きな変化が起こるであろう。<br />
身の丈にあった暮らし方や産業は、いまや、技術の小型化、高性能化<br />
によって可能となり、地産地消型の分散的経済が生まれてゆく。<br />
技術の小型化の基礎には、生物の‘しくみ’から着想を得てナノテク<br />
の機械的な技術、あるいは、バイテクへと展開するものが多い。<br />
<br />
ノーバート・ウイーナーは、大脳生理学者と組んで、人間が過去の記<br />
憶と現在の行動に関わる新たな情報を照合し、過去の判断を修正して<br />
行動する‘しくみ’をもつことを明らかにした。<br />
これを彼は、「学習」と呼んでいる。<br />
また、細胞の研究が進むに連れて、精子の細胞が生命の設計図＝ＤＮＡ<br />
を凝縮して保持しながら、ミトコンドリアを細胞内に持っていて酸素<br />
を取り込み、エネルギーを獲得して活発に運動するさまが観察され、<br />
そこから微細な機械装置を生産するアイディアが生み出されうること<br />
を示した。<br />
人間は、このような新技術が独走して人間生活を破壊しないように、<br />
また、人間の身の丈にあった新技術の活用が可能となるように、学習に<br />
よって、進化することが出来る。<br />
<br />
新技術と新市場の開発の中で、地場産業が見直され、農林漁業が再生<br />
し、文化財は、本来の景観や農林漁業の持つ雰囲気に中で光を放つ。<br />
水や空気の清浄さが再生され、公共交通が、歩行生活と、自転車を含む<br />
多様な交通手段と連携しながら再生する。<br />
これらの学習と智慧によって、人間は、農村的生活に基礎を置きながら、<br />
大規模な機械力を誇る大都市文明を制御し、地場産業を再生し、農村的<br />
な生活様式を都市へも及ぼす。<br />
その地に生きた文化が、都市文明を制御する時代。<br />
それが近づいているようだ。</span>
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    <dc:subject></dc:subject>
    <dc:date>2010-02-04T15:47:13+09:00</dc:date>
    <dc:creator>ikegami</dc:creator>
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    <title>池上惇　│　私の教育人生　第35部　5　「限界集落にある価値とは」（2/2/'10）</title>
    <description>今日の話題　　2010年2月2日
池上　惇

━━第35部━持続可能な創造型ストック━━━━━━
私の教育人生　5　限界集落にある価値とは
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


今日から書評とブログを、毎日書くぞ、と決心した。
 私のブログは、人との出会いが中心である。
会話やヒ...</description>
<content:encoded><![CDATA[
<span style="font-size:medium;">今日の話題　　2010年2月2日<br />
池上　惇<br />
<br />
━━第35部━持続可能な創造型ストック━━━━━━<br />
私の教育人生　5　限界集落にある価値とは<br />
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br />
<br />
<br />
今日から書評とブログを、毎日書くぞ、と決心した。<br />
 私のブログは、人との出会いが中心である。<br />
会話やヒアリングのなかで、きらりと光るものを発見できる。<br />
その歓びは素晴らしい。<br />
<br />
他方で、著作物に接した時の感動も捨て難い。<br />
これは、一種の重量感がある。<br />
「重く受け止める」とは、政治家がよく言う言葉だ。<br />
しかし、そのような意味とは違う、著作者の蓄積というか、積み上げ<br />
というべきか、立体感のある、そして、持ち運ぶわけには行かない<br />
価値の重さ。それを感じるのである。<br />
<br />
昨日は、富山で、地域づくりのフォーラムあり。<br />
総てのご報告やご講演が「衰退するように見える地域にこそ‘価値ある<br />
もの’がある」「その‘価値あるもの’を発見して、それを世に出し、<br />
享受する人々を育てよう！」「各地に塾を作って地域固有の職人技を<br />
継承し、ともに、楽しもう。」と、呼びかけておられた。<br />
この‘価値あるもの’は、地域固有の伝統や習慣である。<br />
また、人々の寄り合いのなかで、創意工夫された技術や技能であり、<br />
農業や地場産業である。<br />
ご報告では、福井の今立の紙職人や、ミュンヘンの子供のまちづくり、<br />
八尾の祭を創る人々、富山の鉄道文化や鉄道研究家、さらには、広告事<br />
業者、ネット塾長など、多様な職人技が登場した。<br />
いずれも、深いご研究で、地域固有の‘価値あるもの’に着目されて<br />
いる。<br />
<br />
富山では、推進者が目立って、支える民衆の姿が見えにくい、との、<br />
指摘もあった。<br />
富山に向かう列車の中で、大野 晃『限界集落と地域再生』（河北新報<br />
出版センター、2008年）を読んだ。<br />
銀座の河北新報社で入手したもの。<br />
<br />
書評でも紹介したが、この書の冒頭、グラビヤの最終ページに次の言<br />
葉が掲げられている。<br />
<br />
「日本列島‘限界集落’−明日が輝く」<br />
「来年のこともわからぬ歳なれど夢をいだいて花種集める（まきこ）」<br />
<br />
大野教授は、「限界集落」という概念を日本地域経済社会の研究の中で<br />
確立された。<br />
限界集落は貴重な価値を持つ。<br />
そこには、豊かな自然環境と、近隣の人との温かな繋がりのもとで、<br />
長年の職人技を蓄積された人々が居る。<br />
住居の周囲には、美しい景観と豊かな自然がある。<br />
水は美しく住み、大気は清浄だ。<br />
さらに、限界集落には、その地に固有の自治の習慣、治山治水の智恵<br />
や技術が暗黙の知として存在する。大野教授がとくに、注目されてい<br />
るのは、水源と水系が創り出す‘人々のつながりや伝統’の持つ価値<br />
である。<br />
利便性や経済の効率化の推進によって、放置された地域の存在。<br />
しかし、その価値が発見された今となっては、もはや、後進的な地域<br />
ではない。時代を導く先進地域なのだ。<br />
市民経済学は、この事実から、歴史を見直して行く。</span>
]]></content:encoded>
    <dc:subject></dc:subject>
    <dc:date>2010-02-02T19:21:53+09:00</dc:date>
    <dc:creator>ikegami</dc:creator>
    <dc:rights>ikegami</dc:rights>
  </item>

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    <link>http://kotoba.ruskincollege.org/?eid=1056875</link>
    <title>池上惇　│　私の教育人生　第35部　4　「創造的アイディアの源泉―敗者の集合」（1/30/'10）</title>
    <description>今日の話題　　2010年1月30日
池上　惇

━━第35部━持続可能な創造型ストック━━━━━━
私の教育人生　4　創造的アイディアの源泉―敗者の集合
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


創造型経営についてのヒアリングや学習を続けていて、ふと思うこと
がある。
それは、経営者と...</description>
<content:encoded><![CDATA[
<span style="font-size:medium;">今日の話題　　2010年1月30日<br />
池上　惇<br />
<br />
━━第35部━持続可能な創造型ストック━━━━━━<br />
私の教育人生　4　創造的アイディアの源泉―敗者の集合<br />
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br />
<br />
<br />
創造型経営についてのヒアリングや学習を続けていて、ふと思うこと<br />
がある。<br />
それは、経営者と呼ばれている人々の大半が、いわゆる経営学を全く<br />
信用しておられない、あるいは、信用すると、経営がうまくゆかない<br />
のではないか、と、考えておられることである。<br />
私ども、学者と言われているものにとっては、ショックなことであった。<br />
では、何が信用できるのか、ということになる。<br />
答えは明快で、ある‘我流の’経営理論に基づいて経営してみて、企業<br />
が実際に倒産しないで、再生産または拡大再生が持続的に行われている<br />
か、どうか、を点検しながら進むということであった。<br />
この‘我流’のものは、メモであったり、自費印刷の小冊子であったり、<br />
研修のための講演の記録だったりする。<br />
それらを読ませていただき、ヒアリングで補ってみると、今までの経営<br />
理論にはない、まさに、「創造的」というべき内容が、しばしば、含まれ<br />
ている。<br />
そして、‘創造的’なものの中身は、意外なことであるが、従来の経済学<br />
では未開拓であった領域を積極的に、解明したものが多いのである。<br />
<br />
例えば、以前、中澤代表取締役の経営理論をご紹介したことがある。<br />
ヒアリングのなかで、氏は「企業の枠を超えて、知的財産権、特許権<br />
あるいは、出願しない知的財産を、関係者が共有するなかで、互いの<br />
位置取りを、それぞれが自覚しながら‘分担すべきところを分担し’、<br />
‘協働すべきところを協働する’」「信頼関係と‘支えあい’を基本と<br />
し、勝者と敗者を作らない経営」「敗者の側のよさを認める経営」を進め<br />
られていた。<br />
この企業の社員の中にも、山岡鉄舟のような維新の敗者に興味を持って<br />
研究される方もある。<br />
確かに、後世や次世代まで、影響力を残した人物は、明治維新の敗者に<br />
多い。<br />
暗殺されたものを含めれば、大半が敗者の思想や行動である。<br />
勝海舟、阪本龍馬、西郷隆盛など、どうしてこうも立派な人物が敗者<br />
となるのだろう。ニューリーの新井会長のお話でも、ご本人が退職を<br />
繰り返さざるを得なかった敗者であるが、その敗者の側に最も優れた技術者たちが結集して智恵の森というべき集団を育てられた。<br />
<br />
一昨日、小林俊和先生と、遅い夕食を食べながら、ｐｏｓシステムを<br />
入れた書店と、売れないものを総べて揃える書店との違いを議論していた。<br />
<br />
小林「ｐｏｓをいれた書店は大体、だめになります。」<br />
<br />
池上「確かに。大手の京都店が撤退しましたね。むかしは、そこへゆく<br />
と、何でもあったので、便利だったのですが、撤退前は、資格を取る<br />
ための本とか、旅行用の本は一杯あるのに、学術的なものは極少数で<br />
した。売れないものでも価値があると思えば売る努力をすれば買う人<br />
も出る。ネット上のアマゾンでは、売れない希少本がでていますよ。」<br />
<br />
小林「売れない本には、二種類あって、内容が良くないものと、内容が<br />
良いが流行ではないものです。流行でないものの中に‘本物’がある<br />
と思いますね。」<br />
<br />
池上「確かに、敗者の立場に立つと、勝ち馬に乗るような流行の雰囲気<br />
ではなくて、本物を見つけて力をあわせよう、みんなで、抵抗し、守り<br />
あって、よいものを創ってゆこう、という気になります。命を大事に<br />
し合って、支えあおう、という、ことでしょうか。」<br />
<br />
小林「先生は、よく、‘もう一つのアメリカ’‘もう一つの日本’という<br />
言い方をされますが、私から見ると、‘勝ち組のアメリカ’対、‘負け組<br />
のアメリカ’という気がします。」<br />
<br />
池上「なるほど。でも、真の勝者は、ことによると負け組みのほうに多く<br />
いるかもしれませんね。流行で勝つのと、実力で勝つ、とは、違います<br />
からね。」<br />
<br />
小林「経営の世界でも、‘ｐｏｓ式の経営’と、その逆をゆく‘売れない<br />
ものを集めて、創造的雰囲気を持つ経営にする’という二つのタイプ<br />
があるのでしょう。流行から見てマイナスのものを集めて、何倍もの<br />
プラスにするためには、何か、条件がいるのではありませんか。」<br />
<br />
池上「最近、小林さんが着目しておられる‘ドメイン’という概念が、<br />
それに当たるかもしれません。地域固有の、よき伝統や習慣を創造的<br />
に継承できる人間ネットワーク、それによって維持し再生されている、<br />
文化財、文化産業、「学術文化財」、生活文化様式、学校、塾などです。<br />
それらは、固有の「場」における人に体化された‘目に見えない’文化<br />
資本と、モノや制度に担われた‘目に見える’文化資本の結合された<br />
もの、です。<br />
これまで、ヒアリングさせていただいた方々、それぞれに、非常に厚み<br />
のある、人間ネットワークと、それを活かす場をお持ちのようでした。<br />
私たちも、よい大学院大学をつくろうと思うと、ドメインをしっかり<br />
構築しておかないと。本当に、教えられました。」</span>
]]></content:encoded>
    <dc:subject></dc:subject>
    <dc:date>2010-01-30T16:02:33+09:00</dc:date>
    <dc:creator>ikegami</dc:creator>
    <dc:rights>ikegami</dc:rights>
  </item>

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    <title>池上惇　│　私の教育人生　第35部　3　「庭造りの経営哲学」（1/29/'10）</title>
    <description>今日の話題　　2010年1月29日
池上　惇

━━第35部━持続可能な創造型ストック━━━━━━
私の教育人生　3　庭造りの経営哲学
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


新年冒頭の話題を、庭師にお送りしましたところ、丁重な注釈をお返し
いただきました。
ご仲介をいただきました...</description>
<content:encoded><![CDATA[
<span style="font-size:medium;">今日の話題　　2010年1月29日<br />
池上　惇<br />
<br />
━━第35部━持続可能な創造型ストック━━━━━━<br />
私の教育人生　3　庭造りの経営哲学<br />
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br />
<br />
<br />
新年冒頭の話題を、庭師にお送りしましたところ、丁重な注釈をお返し<br />
いただきました。<br />
ご仲介をいただきました「まほうや」松本洋子代表取締役にも厚く御礼<br />
を申し上げます。<br />
<br />
以下はコメントに従って改訂したヒアリング全文である。<br />
赤松の再生を織り込んだ作庭の創造ストックなど、現代の経営を根底<br />
から見直す素晴らしい内容であった。<br />
固有の自然再生と、それを応援する人間再生との出会いが、この創造<br />
ストックや場（庭）を軸に展開する。文化資本論に新たなページを開<br />
いた卓見である。<br />
<br />
『いま、私は創造型経営についてのヒアリングに熱中しているので、<br />
お願いしたところ、年末ならば、ということで実現した。<br />
寺内の雲居庵で、お抹茶と銘菓を頂戴し、御霊屋から時雨亭をめぐり<br />
ながらのお話である。<br />
「まず、雲居庵で。<br />
<br />
庭師「私は、このお庭に広がる空間を、ただただ自然としてではなく<br />
て、人間の生活空間が自然の持つ潜在力を活かし、そのことによって、<br />
人間にとっての環境や‘自然との繋がり’が人々にとって歓びとなる<br />
ように心がけています。<br />
これは、先人たちが自然界と向き合って抱いてきた自然観であり、自然<br />
の営み、人々の‘営み’の真の姿を発見して、それぞれの‘営み’が永続<br />
的な発展を実現できるように応援して行くことです。京都では、ひとり<br />
ひとりが自分の家の前の道路を清掃し、花や緑を飾る。それによって、<br />
自分の心を伝え、町全体をきれいにする。このようなひとり一人の‘営み’<br />
を持続するには、ひとりひとりの自然に対する敬意、隣人に対する敬意、<br />
近隣のために、道を清潔にすることの歓びを共通の認識に高める必要<br />
があります。私たちは、庭造りを通じて、このような人々の気持ちが<br />
自然に形成されるよう、また、そのような‘場’の雰囲気を創り出す<br />
よう努力しております。」<br />
 <br />
池上「それは、先生が、自然、例えば、木々が人間と同様に、呼吸し、<br />
栄養を吸収し、恰も神経を持つかのように、踏みつけられると痛がっ<br />
たり、泣いたりすると受け止めておられること、つまり、木々の‘営み’<br />
を、常々我が身の事として実感しておられるということでしょうか」<br />
 <br />
庭師「その通りです。樹木には、人間と同じように、悲しみや歓びを<br />
感じ、表現する力があります。それらを樹木の表情から読み取って、<br />
悲しみの原因を出来る限り、小さくし、歓びを最大にする。これが、<br />
われわれ、庭造りの極意だと考えています。先人たちが営々と受け継い<br />
できた精神及び心、高度な技術を持って、作庭し、その成長によって<br />
景観として芸術文化的表現を追求するのも我々の仕事なのです。」<br />
 <br />
池上「しかし、実際の世間では、そのような思想は受容されないこと<br />
が多いのではありませんか」<br />
 <br />
庭師「そのとおりです。例えば、自然の真の姿を再生するには、石、樹木<br />
と流れ、苔や池等、人が水と触れ合う空間なども配慮が必要です。<br />
これらと人間の接点や‘ふれあい’を大事にして互いに相手のよさを<br />
認め合い、尊重しあう姿勢が必要であり、それによって、よりよい生活<br />
景観が作られます。しかし、学校の先生の中には、‘水に子供を触れさ<br />
せる’と聞いただけで、不衛生だとか、万一病原菌があったときには<br />
誰が責任を取るのか、などという人もいます。出来合いの常識にこだ<br />
わって、子供達の人間としての真の姿が見えなくなっているのです。<br />
‘論語読みの論語知らず’になってしまうのでしょうね。<br />
私は、子供を水に触れさせないことのほうが、どれほどか、危険では<br />
ないか、と思うのです。水のよさを理解できない子供は、自然への敬意<br />
も持ちにくいでしょうし、水のない状況で苦しむ樹木の表情など、理解<br />
できないのではないですか。このような子供を育てたならば、平気で、<br />
自然環境を破壊したり、汚染したりする商売人、経営者、政治家や公務<br />
員をつくることになります。」<br />
 <br />
池上「そうしますと、このお庭を楽しまれる観光客や地元の人々も、この<br />
途を歩きながら、木や苔の‘歓び’‘悲しみ’の姿を見て、自然への敬意<br />
を持ち、あるいは、苦しむ木々の悩みを解決しようとする気持ちを持つ<br />
ようになるわけですね。このような気持ちを人々が自然に、内発的に、<br />
持つようになり、そのなかで、美しい景観、自然の歓びを受容すること<br />
になるのでしょうか。」<br />
 <br />
庭師「そうあって欲しいのですが、実際に、目の前を歩いておられる<br />
方々の目線を見てください。みんな、足下をみながら、普段の道路を<br />
歩いているのと同じように歩いておられるようです。庭園内では、安全<br />
性が確保されていますので、日頃の生活空間を離れて、満喫するため<br />
にも、天を仰ぎ見ていただきたいのです。<br />
そこでは、晴れた青空に映える木々の緑と、木漏れ日が素晴らしい景観<br />
や美しい太陽の姿を凝縮しています。感動できる情景を見ないで、ゆき<br />
過ぎて行かれるのは残念です。<br />
でも、庭の鑑賞の仕方などを、料理のレシピのように提供するようで<br />
は、人々の成長を停止させます。自然に大事なこと、景観の持つ美しさ<br />
だけでなくて、自然と人々の共生がもたらす気高い価値について、本人<br />
自身が気付けるようにすることも、私たちの仕事なのです。<br />
おそらくは、いま、足下ばかりを見て通り過ぎてゆかれる方々が、何度<br />
か、ここにこられて、体がここの空気を感じて、慣れてくれば、天を仰ぎ<br />
見ていただけるでしょう。<br />
では、すこし、外をあるきませんか。」<br />
 <br />
池上「ありがとうございます。雲居庵から時雨亭に至る道は、まだ、人手<br />
がはいっていない、荒れた空間がありますね。」<br />
 <br />
庭師「ええ、ここ荒れた空間と、つくられた空間とが境を接しています<br />
ので、作庭の意味が一層良くお分かりいただけます。放置されてきた<br />
自然では、先人たちが営々と育ててきた、景観のための赤松が消えて、<br />
シイの大木が日光をさえぎり、本来、のびてもらいたい樹木は伸びる<br />
ことが出ない。潅木の茂みができて雑然としていて、先人たちが作り<br />
あげてきた景観のよさがありません。１つの原因として、燃料革命に<br />
よって下草刈をしなくなり、山の景観を放置したためです。<br />
造園は、大木を間引きし、日当たりを良くし、赤松の発芽を促し、周囲<br />
と唱和しながら、１０年単位の長いスパンでゆっくりと育てるのです。<br />
散策路は、土止めに、付近の太い竹をあてると大変良い。一種の地産地<br />
消でしょうか。」<br />
 <br />
池上「赤松にこだわっておられるように拝察しましたが、それが自然<br />
の潜在力のシンボルだからですか。」<br />
 <br />
庭師「その通りですね。同時に、赤松が過去の人々の生活に果たした<br />
重要な役割を再発見し、それを、この空間で実現したいという夢もあり<br />
ます。和歌山城の調査に行ったとき、お城の石垣の下には赤松が樹皮<br />
ごと組み合わされていて、空気に触れずに水の中で存在している間は<br />
腐らない。永続的な石垣等の基礎が出来ます。日本人は古くからこの<br />
ことを知っていたようですね。このお寺の池の周辺も、赤松の木組み<br />
で囲んであります。水につかっている限り、腐っていませんね。すごい<br />
機能です。この自然の潜在力を活かして、池という空間を保全し、建築<br />
物の立替にも、活用したい。これは、永続型造園の哲学です。」<br />
 <br />
池上「このような技術や知識を次世代に伝えるための、努力も大変な<br />
ものでしょうね。」<br />
 <br />
庭師「確かに。技術を伝えることも必要ですが、より大事なことは、<br />
みんなで、智恵をしぼること、そして、工夫しながら仕事を共にし、<br />
歓びや悲しみを共にすること、不況になっても、共に苦労し、解雇し<br />
ないことです。たとえ、報酬が減少したとしても、智恵を出し合って、<br />
苦楽を共にしてきた仲間なのだから、皆で、‘乏しき’を分かち合い、<br />
万一、賃金の水準が落ちても、家族のように人を大切にすることです。<br />
経営人は上からものを言うのではなくて、互いに苦しみや歓びの分かり<br />
合える仲間として付き合うことが大事だと思います。世間では、派遣切り<br />
などの大問題が起こっていますが、日本の伝統的経営では、不況になっ<br />
ても、顧客の恩に応え、自然の恩に報いる姿勢で乗り切ってきました。<br />
自然の痛みを知り、人の痛みを知る経営によって、先人が創り上げて<br />
きた、よき経営の習慣や伝統を知り、それらを今に活かして顧客の要望<br />
に応えること、これこそが、創造的なアイディアの源泉です。<br />
顧客の要望は厳しいことが多いのですが、それに敢えて挑戦し、智恵を<br />
出し合うこと。そのために、普段から本音のところで、信頼関係を構築<br />
することこそ重要ですね。」<br />
 <br />
池上「これからの世界に生きる経営哲学ですね。共感いたしました。<br />
また、先生が、塾生を教えるなどの機会がありましたら学習させていた<br />
だきたく存じます。今日は、貴重なご教示をいただきました。<br />
深く感謝いたしております。」<br />
 <br />
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　合掌<br />
 <br />
　　　　　　　　　　　　　　　　　北山安夫　（直筆）』</span>
]]></content:encoded>
    <dc:subject></dc:subject>
    <dc:date>2010-01-29T20:13:43+09:00</dc:date>
    <dc:creator>ikegami</dc:creator>
    <dc:rights>ikegami</dc:rights>
  </item>

  <item rdf:about="http://kotoba.ruskincollege.org/?eid=1056307">
    <link>http://kotoba.ruskincollege.org/?eid=1056307</link>
    <title>池上惇　│　私の教育人生　第35部　2　「リスク分散の経済学を発見」（1/27/'10）</title>
    <description>今日の話題　　2010年1月27日
池上　惇

━━第35部━持続可能な創造型ストック━━━━━━
私の教育人生　2　リスク分散の経済学を発見
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


前回、「創造」というと、非日常的で突飛なことのように思いがちだ。
伝統や習慣の対極にあると考えるの...</description>
<content:encoded><![CDATA[
<span style="font-size:medium;">今日の話題　　2010年1月27日<br />
池上　惇<br />
<br />
━━第35部━持続可能な創造型ストック━━━━━━<br />
私の教育人生　2　リスク分散の経済学を発見<br />
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br />
<br />
<br />
前回、「創造」というと、非日常的で突飛なことのように思いがちだ。<br />
伝統や習慣の対極にあると考えるのが普通であろう。<br />
しかし、ラスキンは、逆に「人間の日常の‘営み’が『価値のある<br />
もの』を創造し、それらを共有して、人から人へと伝えてゆく、と考える。<br />
その『価値のあるもの』を後世の‘目利き’が発見し、現代生活に<br />
再生する。<br />
いわば、人類は｛創造の種子｝を絶えず学習などによって人から人へ<br />
と受け渡し『再生』してゆくのである。<br />
同時に、この『受けわけ渡し』は、荒野のような非文化的環境で行わ<br />
れるのではない。<br />
受け渡すには、渡される側の「享受能力」を育てる場や時間が必要で<br />
あるし、創造と享受の関係に相応しい人間的な雰囲気やモラルが必要<br />
である。<br />
それは、互いの人格や創造性を尊重しあい、知的な資産として、大切に<br />
し、感謝しながら、知識として共有し、ともに、活かすことである。」<br />
と、述べた。<br />
今日は、ラスキンから一足飛びに日本のものづくり現場に飛ぶ。<br />
<br />
ここのところ、東京都との往復に時間を取られて更新が後れました。<br />
お許しを。<br />
<br />
さて、この間、何を考え、何をしていたのか。<br />
どなたにあってなにを教えて頂いていたのか。<br />
新たなアイディアを、発見したり、誕生させたり出来たのであろうか。<br />
いつも、反省させられるのは、「やるべきときに、やるべきことができ<br />
ていない」ということである。<br />
 とりわけ、大学院大学の設立活動を推進すると言うことになれば、多く<br />
の各位に、活動の意味を訴えて、ご説明をし、各位のお考えや状況に<br />
応じて、様々な御提案をし、各位のお役にも立って、また、私どもの<br />
活動にも、ご理解やご支援をいただけるように配慮しなければならない。<br />
おひとり、おひとりにご説明し、ご支援には御礼を申上げ、活動の成果<br />
をご報告しながら、その成果が御ひとり御ひとりに役立つよう、適切な<br />
内容を選択してお送りすることになる。<br />
これは、思ったよりも、遥かに大変な、仕事であった。<br />
今日も、早速にお手紙を差し上げて、と、心の中では焦りながら、やはり、<br />
「今日の話題」などのブログから始めてしまう。<br />
なにか、ブログを書かないと、今日いうべきこと、今日でなければ<br />
ならないことを、し残してご説明にも迫力がでてこないように思うのだ。<br />
今日の事例は、以前、ご報告したニューリー株式会社の会長からの<br />
もので<br />
ある。<br />
<br />
先に、ご紹介したように、４時間ばかりの長時間、人生をかけて経営<br />
してこられた貴重なお話であった。<br />
内容は、ラスキンの発見を超えたかもしれない、素晴らしいもので<br />
あったので、少しは、重複するが、改めて。<br />
<br />
池上「以前にもご紹介しましたが、ニューリーが開発された技術は<br />
経済産業省から表彰されたそうですね。おめでとうございます。」<br />
<br />
会長「いや、有りがたいことですが、私どもとしましては、今回の<br />
スキャメラ技術に限らず、絶えず、他社が挑戦して投げ出した難題<br />
ばかりを手がけて解決してきました。その意味では、ひとつでも、<br />
世間から認められて嬉しく思っています。」<br />
<br />
池上「‘難題への絶えざる挑戦’と、伺っていますが、そのような難題<br />
を貴社が解決できて、製品化できるというのは、まさに、創造型経営<br />
のモデルと言えますが、なぜ、難題が解決できるのか、御教え頂け<br />
ますか。」<br />
<br />
会長「そうですね。私の苦労人生の結果でしょう。わたくしは、自分の<br />
生き方として、絶えず、新たな技術を開発しては、顧客の要望に応え<br />
ようとしてきました。これは、一面では、技術者としての誇りであり、<br />
他面では、顧客のお陰でご注文をいただいて、生きさせて頂いている<br />
わけですから、恩に報いるというか、よいものを生み出して御慶び頂く<br />
というか、その様な気持なのです。<br />
ところが、このような気持で、よいものをつくると、理解ある経営者<br />
には、重んじて頂けますが、‘俺の言うことを聞け’式の方とは必ずと<br />
言ってよいほど、衝突するのです。 残念ですが、日本の企業には、この<br />
式の経営者が多い。当然のこと、退職せねばならないことになります。」<br />
<br />
池上「大変なご苦労でしたね。そのなかで、とくに、気をつけられた<br />
のは、どのような点ですか。」<br />
<br />
会長「やめるとなると、私に賛成の技術者が一緒に行動します。<br />
また、倒産する会社もありますから、会社を再建するために、組合の<br />
責任者もやったことがあります。再建すると元の経営者に経営権を返<br />
しますね。すると、また、駄目になることもある。その会社の人々が<br />
ついてきてくれる。大体倒産すると大学では逃げてしまいますから、<br />
学歴はないが技術に強く、誠実な人が残ります。<br />
これらの人々が集って出来た会社ですから、一種の、全員参加型の<br />
経営になる。<br />
経理は全て公開で、経営者は、交際費を使わない。税務署から少なす<br />
ぎる、と、言われるくらいです。資金、小切手、通帳は、すべて銀行<br />
に預けて、個人の関わりは最小必要な限度とする。」<br />
<br />
池上「これは凄い経営ですね。そうなってくると、‘社員ひとりひとり<br />
が会社の貴重な財産’ですね。」<br />
<br />
会長「そうですよ。できるだけ、常勤を増やして、生涯働けるように<br />
し、子育てや、個人生活への配慮も必要です。私どもは、全員で、研究<br />
開発に取り組む姿勢がないと、やって行けませんから、事務職だって、<br />
研究開発に興味を持ってもらうし、提案も大歓迎です。」<br />
<br />
池上「そうしますと、このような土台の上で、とくに、困難な研究開発<br />
の『難題』に、たちむかって解決できるわけは何でしょうか。」<br />
<br />
会長「共通の土台は、一種の信頼関係でしょうかね。その上で、採算を<br />
無視して、難しい課題に対する研究開発の機会には、積極的に応じる<br />
こと、大手からの試作の注文でも、政府からの研究開発費でも同様です。<br />
難題に挑戦すると、その度に、関係した技術者には、その難題に関わる<br />
研究開発の経験知が蓄積されます。いくつもの難題に関わるほど、多く<br />
の経験知が個々人や集団に蓄積され、多様な難題に、多様な形で対応<br />
できるようになるのです。これは、大事なことだと思いますよ。<br />
採算を無視した研究開発は一種の社会貢献でしょうね。社会にとって<br />
は、新たな経験知がもたらされるのですから。同時に、この社会貢献<br />
こそが、ひとりひとりの技術者にとっての‘創造能力の基盤形成’なの<br />
ですよ。」<br />
<br />
池上「納得しました。では、このような創造型経営は、経営の持続性<br />
や安定性という点から見ると、どのように評価しておられますか。」<br />
<br />
会長「端的に言うと、‘多様な課題を解決して行くと、多様な注文に<br />
応える企業体質が出て来る’ことです。たとえば、難題を解決して、<br />
採算の取れる事業化に成功したものが１０あれば、あるものが採算上、<br />
危なくなっても、別の事業で持ちこたえる。<br />
いまのような大不況の折には、特にそうですね。流行り言葉風にいえ<br />
ば、『リスク分散型マネジメント』かもしれません。<br />
<br />
池上「これは、素晴らしい。リスクの大きい研究開発に挑戦すればする<br />
ほど、多様な事業に挑戦できて、その上に、事業のリスクを分散できる<br />
とは。まさに、創造型経営ですね。」<br />
<br />
会長「そんな、おおそれたものではありません。さらに、大きな困難<br />
もありますから。それは、事業の多様性に応じた市場開発の難しさ<br />
ですね。スキャメラなど、その典型ですが、文化財や動物、景観など<br />
のスキャン需要は潜在的には、非常に大きいのですが、文化財のよう<br />
に専門性の高い分野での御活用は、専門家のご理解がないと難しい。<br />
しかし、専門家の世界は、それはそれで、従来のお付き合いやら、学術的<br />
なネットワークやら、多様な要素が絡んでいて、普通の製品やサービス<br />
のようにはゆきません。人間としての生き方や、節度、経営理念、正しい<br />
と思うことを主張する勇気などが問われます。ただ、創造型技術等を<br />
評価して頂いて、それが、文化財の保存や活用に役立ったときの嬉し<br />
さは例えようもないほど大きなものです。それを楽しみにやっている<br />
ようなもので、普通のビジネスではありません。」<br />
<br />
池上「普通のビジネスでない、ビジネス。これは、創造型経営の本質<br />
かもしませんね。この‘リスクを取りながらリスクを分散する経営シス<br />
テム’は、経済学では、ノーベル賞級の発見ですよ。アイディアは、この<br />
ブログで公表されていますので、すでに、学術的な成果と、認められ<br />
るのではないか。今後も、大事にされて、できれば、文字情報として<br />
貴名で公表されるようお薦めします。受賞の際には、スエーデン旅行<br />
などで、社員をねぎらっていただきたく。今日は、ありがとうござい<br />
ました。」</span>
]]></content:encoded>
    <dc:subject></dc:subject>
    <dc:date>2010-01-27T18:27:44+09:00</dc:date>
    <dc:creator>ikegami</dc:creator>
    <dc:rights>ikegami</dc:rights>
  </item>

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    <title>池上惇　│　私の教育人生　第35部　1　「ラスキン思想の面白さ」（1/23/'10）</title>
    <description>今日の話題　　2010年1月23日
池上　惇

━━第35部━持続可能な創造型ストック━━━━━━
私の教育人生　1　ラスキン思想の面白さ
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


市民経済学の総合的な研究を心がけているうちに、いつのまにか、話が、
「創造的ストック」の話に傾斜してし...</description>
<content:encoded><![CDATA[
<span style="font-size:medium;">今日の話題　　2010年1月23日<br />
池上　惇<br />
<br />
━━第35部━持続可能な創造型ストック━━━━━━<br />
私の教育人生　1　ラスキン思想の面白さ<br />
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br />
<br />
<br />
市民経済学の総合的な研究を心がけているうちに、いつのまにか、話が、<br />
「創造的ストック」の話に傾斜してしまった。<br />
本当は、市民経済学の体系、などの、おおそれた「構想」を語るはず<br />
であったが、それよりも、考えているうちに、「人間の生命と生活の<br />
再生産」という、私にとっての古典的な研究テーマに徐々に引き戻さ<br />
れていった。<br />
というのは、私は、若い頃から、物質の再生産にばかり研究を集中<br />
する現代経済学に反発していたからである。<br />
私たちの青年期の現代経済学は、言うまでもなく、近代経済学、新古典<br />
は総合と呼ばれたものと、マルクス経済学、とくに、講座派と労農派<br />
と呼ばれた日本経済学であった。<br />
近代経済学は、日本経済の現実については、当時、ほとんど影響力が<br />
なかった。<br />
まだ、現実を切り分けるほどには理論が成熟していなかったためで<br />
あろう。<br />
それに対して、マルクス経済学のほうは、山田盛太郎先生の『日本資本<br />
主義分析』をはじめ、日本の現実に、マルクスの再生産表式を適用した。<br />
そして、戦前の日本の経済構造が、「なぜ、外国から技術や原材料を<br />
輸入し、加工して輸出する貿易に傾斜しているのか」を示した。<br />
この結果、日本経済は、国内市場に投資が向かない。したがって、農業<br />
の比重が高く、労働者は農村からの出稼ぎである。賃金は安いし、失業<br />
すれば農民に戻ってゆく。<br />
日本の国内は低賃金と失業、農村の疲弊が進み、貿易事業を窓口に<br />
して、輸出産業が繁盛する。輸出が行き詰まれば、戦争に訴えてでも、<br />
販路を開こうとする。<br />
この二極化傾向を鋭く指摘したものだから、経済学研究者や学生の間<br />
で、講座派の人気は絶大であった。マルクスの再生表式は、ケインズ<br />
の国民所得分析や、レオンチェフの産業連関論の基礎となったもので、<br />
年間の財の生産を生産手段と消費手段とに分割し、両者の市場取引の<br />
関係を示した。<br />
これを、戦前の日本の産業構造に適用してみると、生産手段が財閥企<br />
業集団に支配され、消費手段は中小零細企業と、農山漁村の経済に<br />
依存していた。<br />
再生産表式は、日本経済の格差構造を理解する上で、決定的な影響を<br />
及ぼしたのである。<br />
私が、このような結論に反発を覚えたのは、この結論が、日本経済の<br />
危機や崩壊の根拠、あるいは、体制崩壊の根拠とされ、社会体制が<br />
変革される基礎として短絡的に説明されていたからである。<br />
たしかに、戦前の日本経済は、講座派の言うとおり、最後には、海外進出<br />
に打って出て崩壊した。これは確かである。<br />
しかし、崩壊の現実には、物質経済の現実だけではなくて、人間経済<br />
が関わっているはずだ。<br />
戦時中、飢えによる栄養不足のために健康を害した人は多い。<br />
大学教育さえ、放棄させて戦争に連れて行ったのだから、セン沿い<br />
能力を奪われた人々も多い。<br />
これらの「痛み」をコスト、犠牲として評価しなければならない。<br />
戦後の復興は産業復興だけでなくて、失われた人的能力の復興が必要<br />
である。<br />
健康や学習の維持を自分の意思で行えなかった現実を反省し、自らの<br />
意思で、健康を守り、学習を行う人間の再生である。<br />
これにどれだけの時間をかけ、空間を確保し、資金をかけるのか。<br />
これらの資源の投入によって、人間としての人生の選択の幅を広げる<br />
のか。<br />
これこそ、人間経済の課題ではないのか。<br />
経済学は、人間経済における犠牲や人的能力を研究対象とせずに、財や<br />
経済資本ばかりを問題にしていて良いのであろうか。<br />
モノや財の動きと、人間の生命や生活の‘営み’とは、密接な関係が<br />
あるはずだ。<br />
人間の生命や生活の再生産を取り扱う経済学はないのか。<br />
この模索の中で、見つけたのは、Ａ．スミスの国富論における「ストッ<br />
ク」つまり固定資本のなかに、設備などと並んで、人間に体化された<br />
知識や経験などを位置づけていたこと、Ｋ．マルクスが労働日の研究<br />
の中で、労働時間と生活時間の区別を明確にし、後者を人間の人格的<br />
成長や人権の基礎と考えていたこと、さらには、Ｊ．ラスキンが人間<br />
の生命と生活自体を「富＝wealth」と考えていたことである。<br />
日本で、このことに気がついていた経済学者は、河上肇、賀川豊彦、<br />
御木本隆三、大熊信行らであった。また、このような経済学者たちの<br />
動きを克明に追って研究しておられたのは、故杉原四郎先生であった。<br />
私のアイディアは、「人間発達の経済学」というかたちで、当時の若手<br />
研究者と共に、公表されていったが、このようなアイディアを評価し<br />
てくれる経済学者は皆無で、最初は、杉原先生ただ一人である。<br />
1990年代になると、最大の理解者は、故都留重人先生となった。<br />
先生は、わざわざ、逗子でシンポジアムを開いてくださって、私に<br />
発表の場を与えてくださった。<br />
人間の生命と生活の再生産というとき、最も、興味深く、面白く感じ<br />
たのは、ラスキンのアイディアである。彼は、人間というものを伝統<br />
や習慣の塊として把握し、これを個別の人的能力を支える「文化資本」<br />
として、評価していたことである。<br />
同時に、この伝統の中の創造性が芸術や学術を通じて現代的に再生さ<br />
れたとき、人間の生命や生活の再生産が実現すると考えていた。<br />
これは、人間の肉体だけでなくて、肉体を担い手とした人格や精神の<br />
再生というべきであろうか。<br />
「創造」というと、非日常的で、突飛なことのように思いがちだ。<br />
伝統や習慣の対極にあると考えるのが普通であろう。<br />
しかし、ラスキンは、逆に、人間の日常の‘営み’が「価値のある<br />
もの」を創造し、それらを共有して、人から人へと伝えてゆく、と考える。<br />
その「価値のあるもの」を後世の‘目利き’が発見し、現代生活に<br />
再生する。<br />
いわば、人類は｛創造の種子｝を絶えず学習などによって人から人へ<br />
と受け渡し「再生」してゆくのである。同時に、この「受けわけ渡し」<br />
は、荒野のような非文化的環境で行われるのではない。<br />
受け渡すには、渡される側の「享受能力」を育てる場や時間が必要で<br />
あるし、創造と享受の関係に相応しい人間的な雰囲気やモラルが必要<br />
である。<br />
それは、互いの人格や創造性を尊重しあい、知的な資産として、大切に<br />
し、感謝しながら、知識として共有し、ともに、活かすことである。<br />
「創造された貴重な創造的成果、文化財、それらを維持し保存する<br />
人間的な環境」、これをラスキンは一種のストックと看做していた。<br />
現代では、ドメインと呼ばれる創造環境をストックとして位置づける<br />
思想。<br />
これは、都留先生も、環境経済学を研究される中で、到達された結論<br />
のように思う。<br />
この創造的な種子を現代に蘇らせたい。</span>
]]></content:encoded>
    <dc:subject></dc:subject>
    <dc:date>2010-01-23T17:42:18+09:00</dc:date>
    <dc:creator>ikegami</dc:creator>
    <dc:rights>ikegami</dc:rights>
  </item>

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    <title>池上惇　│　私の教育人生　第34部　20　「産業実験の現代的再生」（1/21/'10）</title>
    <description>今日の話題　　2010年1月21日
池上　惇

━━第34部━第三の道＝市民経済学━━━━━━
私の教育人生　5　産業実験の現代的再生
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


この正月は、農村計画学会から植田和弘先生を通じて依頼されて原稿
作成に集中した。
申請の準備や、寄附集約の...</description>
<content:encoded><![CDATA[
<span style="font-size:medium;">今日の話題　　2010年1月21日<br />
池上　惇<br />
<br />
━━第34部━第三の道＝市民経済学━━━━━━<br />
私の教育人生　5　産業実験の現代的再生<br />
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br />
<br />
<br />
この正月は、農村計画学会から植田和弘先生を通じて依頼されて原稿<br />
作成に集中した。<br />
申請の準備や、寄附集約の最終段階であるから、文字通り「走りながら」<br />
の執筆である。<br />
しかし、最近では、このような仕事のスタイルは一般の方々にも理解<br />
されるようになって来た。<br />
その理由は、ノーベル物理学賞に輝いた益川先生の「仕事スタイル」<br />
が先生の御著書などを通じて広まったからである。<br />
この書物によると、先生は、しばしば、労働組合の中心的な仕事を<br />
引き受けさせられて、時間を取られ、その合間を縫うようにしながら、<br />
創造的アイディアを練り上げられ、直観的に洞察されていたようで<br />
ある。<br />
たしかに、人間は、無限の時間や空間、知識などを占有しながら、<br />
アイディアを出しているわけではない。<br />
アイディアを生み出すための資源は常に限られている。<br />
現実に生きておれば、生活のために、家族とのコミュニケーション、<br />
地域や職場のつながり、自分たちの権威を守るための社会貢献や社会<br />
活動も不可欠である。<br />
時間は限られ、研究空間は限定された範囲でしか、活用できない。<br />
すべての関連知識をすべてあたるなど、不可能である。<br />
それにもかかわらず、創造的なアイディアが生まれ、社会的で、国際的<br />
な影響力を発揮する。<br />
私は、とても、益川先生のようには行かないが、先生の姿勢や生き<br />
方には、心から共感した。今日は、このような正月の成果の一端で<br />
ある。<br />
依頼された論文のタイトルは、「持続可能な農村社会と創造環境の構想<br />
―文化資本概念の検討とともに―」というものであった。<br />
<br />
この「持続可能な農村社会」、すなわち、Rural Sustainability とは、<br />
いま、このブログで論じている市民経済学と、密接な関係がある。<br />
市民経済学の原点の一つは、Ｊ．ラスキンの芸術経済学であることは、<br />
以前にも触れたことがある。<br />
彼は、芸術的にみてデザインなどに優れた財、さらには、品質の良さ<br />
を兼ね備えた財を生産できる社会、また、この財を享受できる人間を<br />
永続的に生み出すことの出来る社会を構想した。<br />
この「創造と享受」の関係は、既に見たように、神戸の市民活動が<br />
市民経済を生み出す上で、最も重要なものであった。<br />
例えば、外国人居住者の生活に必要な言語を翻訳して提供し、異文化<br />
交流を行う市民活動が、海外の伝統的食文化を日本に紹介し、日本の<br />
食文化と交流する中で、優れた料理人が、創造的な独自の味やデザ<br />
インを生み出す。<br />
この交流の中で、新たな文化に触れて、それを生活に活かす「享受能力」<br />
のある人々が、この味を理解し、自分たちの生活の質を高めてゆく。<br />
この‘営み’は、さまざまな領域で、新たな生活文化を生み出して、<br />
そこに、市民経済が生まれてゆく。<br />
創造と享受の関係を生み出す共通の土台は、仮に、ドメインとよぶと<br />
すれば、農村社会こそが、このようなドメインの原点である、という<br />
のが、最近の研究の成果なのである。　<br />
私も、このような成果を受けて、ruralという英語を、田舎風あるい<br />
は牧歌的な「生命や生活のありかた＝マナーと生活の質」を創りだし<br />
享受する人間関係ではないか、考えてみた。<br />
そして、日本語の「農山漁村風」をruralに対応する訳語とすること<br />
にした。<br />
その理由としては、日本の農村は漁村と一体であることが多く、農業、<br />
漁業、林業は自然からの採取を原点とし、栽培、養殖、植林などの<br />
‘営み’によって、現代まで、事業化を遂げてきたことがあげられる。<br />
‘田舎風の生活’の高い評価は、ヴィクトリア期、イギリス社会に<br />
おいて提起された。<br />
その中心に、ラスキンがいたことは言うまでもない。<br />
それは、元来、水車によって自然との共生を図りながらエネルギーを<br />
獲得し、穀物を挽く。職人技で、ウールを生産し、農産物、畜産物、<br />
手工業製品の市場を教会や仕事場の前に開く。<br />
次世代は、自然という環境ストックから芸術的創造や科学的認識を<br />
学びとる。<br />
文化財のような伝統的建築ストックに住む人々が、伝統的な農業や<br />
職人技、商人の業を通じて教育する。<br />
そして、人類が長い習慣の中で創りだした自治や共同占有の‘営み’の<br />
中で、ひとり一人が職人技や創造性を身につけ、その成果をともに<br />
楽しむ。<br />
これらの智恵や経験知を次世代に伝え、田舎風の生活を持続的に発展<br />
させる。<br />
しかし、この牧歌的な生活様式は、機械制大工業による科学技術の<br />
力と金銭蓄積の力を合体した都市の経済によって、一旦は解体される。<br />
水車は止まり、水は汚染され、織機は売り飛ばされ、職人は離散し、<br />
多数の農民は労働者となる。<br />
教育も地域の自然や文化から切り離される。<br />
それにもかかわらず、農民は自立と自治の精神や伝統を失わなかった。<br />
ラスキンが「産業実験」の提起で示唆したように、かれらは、伝統的<br />
な生産や生活の様式を継承しながら、都市の市民と連携して、協同の<br />
組織を創り、都市の資金を農村に持ち込み、蹴散らされた文化資源を<br />
コーディネイトして、産業実験に取り掛かる。<br />
職人は呼び戻され、機械は買い戻され、水車が再生される。<br />
生産においては、伝統の技に加えて都市からもたらされた科学的知識<br />
や技術を活かす方策が講じられる。小さな市場には、地域通貨が相応<br />
しい。<br />
繊維の品質が向上して、都市や農村の新たな生活文化を支える。<br />
生産には、創造性が生まれ、消費には、創造から学んで、その享受<br />
能力が定着する。<br />
現代的で芸術的なデザインが生み出されて、新たな製品が市場を拡大<br />
してゆく。<br />
生活文化の質を上げながら、産業実験は、農村の再生を軸に、都市と<br />
農村の広域的連携を実現する。<br />
都市と農村のネットワークは、巨大化に翻弄される都市生活を制御し、<br />
文明の独走を許さない。従って、rural sustainabilityは、「農山漁村<br />
風の‘営み’や動きを景観・産業・生活から創造的に再生し、生産人<br />
の職人技、技術やデザインにおける創造性と、享受する人々の力量を<br />
持続的に再生産すること」、あるいは、現状に即して言えば、「持続的に<br />
再生すること」である。<br />
日本各地の「ふるさと」意識や、故郷の懐かしさを共有しながら、とき<br />
には、「故郷納税」も考え、地元の農林漁業が再生され、自然エネルギー<br />
が活かされ、小型で、分散的生産に適応した先端技術をもつ地方工業<br />
が発展する。<br />
そこには、美しい水が再生され、棚田や、中山間地域の緑が広がる。<br />
この流れを都市に住む人々が積極的に評価し、都市においても、自治や<br />
共同占有の習慣を取り戻し、歴史的な道や文化財を再生し、産業遺産<br />
を文化財として、都市生活の中に位置づけ始める。都市の利便性や<br />
交流、移動のなかで、再生された農村文化が、都市にドメインを再生<br />
し、あらたな生活文化と、新たなビジネスを生む。<br />
この論文では、このような動きの先駆的な事例として、徳島県の上勝町<br />
に注目した。<br />
神戸市と、上勝町、この二つの事例から学びえたものを次に展開して<br />
みよう。</span>
]]></content:encoded>
    <dc:subject></dc:subject>
    <dc:date>2010-01-21T17:36:33+09:00</dc:date>
    <dc:creator>ikegami</dc:creator>
    <dc:rights>ikegami</dc:rights>
  </item>

  <item rdf:about="http://kotoba.ruskincollege.org/?eid=1054626">
    <link>http://kotoba.ruskincollege.org/?eid=1054626</link>
    <title>池上惇　│　私の教育人生　第34部　19　「ドメインが創る市民経済」（1/19/'10）</title>
    <description>今日の話題　　2010年1月19日
池上　惇

━━第34部━第三の道＝市民経済学━━━━━━
私の教育人生　19　ドメインが創る市民経済
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


前回「神戸市長田区の‘たかとりコミュニティ・センター’」の例を
挙げて、（池田清「創造的復興から人間復興へ...</description>
<content:encoded><![CDATA[
<span style="font-size:medium;">今日の話題　　2010年1月19日<br />
池上　惇<br />
<br />
━━第34部━第三の道＝市民経済学━━━━━━<br />
私の教育人生　19　ドメインが創る市民経済<br />
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br />
<br />
<br />
前回「神戸市長田区の‘たかとりコミュニティ・センター’」の例を<br />
挙げて、（池田清「創造的復興から人間復興へ」『世界』Ｎｏ．101号、<br />
2010年2月、82ページ）多様な市民活動やコミュニティ・ビジネス<br />
を支える共通の‘しくみ’が歴史的、文化的に形成されてきたことを<br />
示唆した。<br />
この‘しくみ’は、イギリスでは「ドメイン」と呼ばれている。<br />
英語のDomainには、「土地に対する究極的な支配権」という意味と<br />
ともに、「松の樹林帯」のような‘特定の生物の生育圏、行動圏’、<br />
の意味もある。<br />
また、数学においては、「平面上の一部分で離れ離れにならない連なった<br />
部分」、物理学では、「磁場」を意味していた。<br />
この概念を人間の生命や生活の発達や行動の圏域に適用してみると、<br />
「その地域に固有の‘人の育ち方’に対して究極的な影響を与える<br />
もの」「その地域の‘人々の多様な行動’を相互に理解させ、共通して<br />
支えているもの」が発見できる。<br />
<br />
‘たかとりコミュニティ・センター’においては、「多様な言語を総合<br />
に理解しあって生活できる人間の発達圏や行動圏」が生み出されていた。<br />
このような生命と生活の共通基盤というべき圏域を生み出すには、西欧<br />
文化を神戸に根付かせた日本のキリスト教会、その文化的伝統という<br />
共通の基盤が必要であった。<br />
そこには、人類愛や友愛の精神が根付いており、日本人は多様な外国<br />
語を話す人々を受け入れて、その固有性を尊重し、翻訳や通訳を媒介<br />
にしつつ、個性的な人々が異文化交流の中で発達する空間がある。<br />
彼らは、智恵を出し合って、ともに、行動し、生活する習慣をつくり<br />
出してきたのである。<br />
<br />
池田教授が指摘されている‘人間発達の知識結い’とは、このような<br />
「人間発達の‘しくみ’」なのであろう。<br />
この習慣の土台のうえで、放送局や、新たな食文化の「仕事おこし」<br />
（世界の食のデリバリー事業・食文化経済）、医療通訳システム構築モ<br />
デル事業（医療文化経済）などが、市民経済を創り出していた。<br />
ここで、注目されるのは、つぎの３点ではないか。<br />
まず、「‘協智’」。すなわち、翻訳や通訳という活動における、500人に<br />
も登る登録者の語学力、さらには、語学力を活かしあう知恵の存在で<br />
ある。<br />
市民の‘動き’には、‘協智’ともいうべき、「個性的な智恵を持ち寄<br />
る」こと、<br />
次に、「生きるための生活文化をめざす智恵の活用」。これらの智恵が<br />
生活文化を高めるために活かされることによって、人々が育ちあう共通<br />
の基盤が形成されていること。<br />
最後に、「地域に固有のコミュニティ・ビジネス」。これらの共通基盤<br />
の上で、その地に固有のコミュニティ・ビジネスが生まれていること<br />
である。<br />
その地域の市民活動が、その地に固有の市民経済を生み出すこと、この<br />
過程が、ここでは、見事に示されていた。神戸の『人間復興』への歩<br />
みは、ドメイン＝「その地に固有な人間発達の‘しくみ’」の形成と、<br />
その土台の上での市民活動、市民経済によって、実現されてゆく。<br />
これは、新たな地域や都市再生の動きであり、これを理論化すること<br />
によって、経済学や社会科学に新たな貢献が行われる。<br />
厳しい震災は多くの犠牲を伴いつつ、新たな人生の再生に向けての<br />
貴重な実践と、それによる研究成果を確実に生み出しているのである。</span>
]]></content:encoded>
    <dc:subject></dc:subject>
    <dc:date>2010-01-19T17:05:44+09:00</dc:date>
    <dc:creator>ikegami</dc:creator>
    <dc:rights>ikegami</dc:rights>
  </item>

  <item rdf:about="http://kotoba.ruskincollege.org/?eid=1053874">
    <link>http://kotoba.ruskincollege.org/?eid=1053874</link>
    <title>池上惇　│　私の教育人生　第34部　18　「市民活動と市民経済」（1/15/'10）</title>
    <description>今日の話題　　2010年1月15日
池上　惇

━━第34部━第三の道＝市民経済学━━━━━━
私の教育人生　18　市民活動と市民経済
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


昨日、郵便受けに、厚手の雑誌が届けられた。
池田清先生からご寄贈いただいた雑誌『世界』であった。
先生の御高...</description>
<content:encoded><![CDATA[
<span style="font-size:medium;">今日の話題　　2010年1月15日<br />
池上　惇<br />
<br />
━━第34部━第三の道＝市民経済学━━━━━━<br />
私の教育人生　18　市民活動と市民経済<br />
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br />
<br />
<br />
昨日、郵便受けに、厚手の雑誌が届けられた。<br />
池田清先生からご寄贈いただいた雑誌『世界』であった。<br />
先生の御高作「『創造的復興』から『人間復興へ』へ」が掲載されて<br />
いた。<br />
早速拝読した。この論文は、現場に即し、最先端の経済理論を踏まえ<br />
た緻密な研究によって次のことを明らかにされている。<br />
<br />
それは、「‘創造的復興’という表層の下で、現実には、‘住民の貧困<br />
化と地域経済の衰退、深刻な財政危機’という『第三次災害』が拡大し<br />
ていること」である。<br />
そして、この厳しい３度目の津波＝災害は、人間の命と暮らしを根底<br />
から脅かしつつあるものを先取りして、われわれの前に提示して見せた。<br />
すなわち、大災害は、いま、日本列島を覆いつつある失業、不安定雇用、<br />
リストラ、ホームレス、神経障害、健康破壊、自殺、などを、いち早く<br />
表面化させたのである。<br />
<br />
池田教授は、神戸市開発行政研究の第一人者として、いち早く、大規模<br />
都市再開発モデルとしての‘山を崩して海を埋める’開発方式を批判的<br />
に研究された。<br />
そして、人間の発達や住民福祉の充実への視点から神戸市の今後のあり<br />
方を展望してこられた。<br />
戦後の日本国家やそれと連携する自治体は、ややもすれば、戦後復興の<br />
中で、日本市民が成果として蓄積してきた国民的資産を、国家的な資金<br />
を動員に振り向けたがる。<br />
神戸市なども、家計の充実と歩調をあわせて、公的セクターで事業を<br />
経営し、高収入を確保して、それらの資金を大規模土木工事に投入し<br />
がちである。<br />
大規模な開発技術を活用して、国際的な規模での開発をすすめる。<br />
しかし、経済格差という割れ目に、眼を向けないで、資金力、組織力、<br />
技術力などを過信した開発は、この割れ目に足を取られて、大きな犠<br />
牲を支払うことになる。<br />
成長すればするほど、大きく落ち込んだのでは、「持ち上げられて叩き<br />
つけられる」ようなものだ。<br />
所得の水準は低下し、生き甲斐は失われる。<br />
さらに、それは、しばしば、人間の自然への敬意を失わせ、人々の命と<br />
暮らしの痛みを認識できない人間をつくり出す。<br />
このような人間が推進する都市再開発計画は、表層の華やかさと、イン<br />
ナー・シティに沈殿せざるをえない市民の暗さとの深刻な分裂を齎す。<br />
大震災は、この‘暗い’神戸を一挙に表面化させた。家屋倒壊、圧死。<br />
安全への公共投資を最優先せず、地域間格差を放置したツケが一挙に<br />
市民を襲った。<br />
避難所、仮設住宅の貧弱な装備、コミュニティからの高齢者の剥奪は<br />
孤独死、病死、自殺を生む。<br />
そして、池田教授がはじめて解明され理論化されたように、従来の‘暗<br />
さ’を自乗するかのように、「第三次災害」が拡大してゆく。<br />
ところが、復興に当たっては、またもや、さきの‘心の貧しさ’が露呈<br />
する。<br />
自然や人を恐れぬ大規模都市再開発の手法が生き残り、広い道路、高層<br />
ビル、規格化された住宅など、が復興する。土建、建築の大手が市場を<br />
拡大したものの、多くの住民は故郷を追われる結果となった。<br />
一種の現代的な「囲い込み」が行われたのである。土地や住宅の所有や<br />
占有から切り離された市民を、企業・産業の神戸外移転の大波が襲った。<br />
失業状態の慢性化への道である。市民は、潜在能力を発揮して、自由に<br />
生きる機会を失い、所得の水準が低下して（所得貧困）、人生の選択幅<br />
は縮減される（能力貧困）。<br />
「華やかさは一層、華やかに」「暗さは一層暗く広がる」なかで、反撃<br />
が始まった。<br />
市民活動という日本歴史を根底から書き換える‘市民の砦’が構築され<br />
始めたのである。<br />
この砦は、人は石垣、人は城、といわれたように、「人々のつながり」<br />
という石垣や城を創った。<br />
それらは、津波や大波に耐えて、人間復興を高らかに宣言し、崩壊しか<br />
かったコミュニティを再生しようとする。<br />
そして、多くのＮＰＯの担い手が、地域に根ざした中小零細企業人、大学<br />
人ネットワーク、教会や寺院などの宗教人などから輩出される。<br />
貴重な人材を学生、女性、団塊世代、公務員、商人、事業者、公益団体、<br />
協同組合など、多くの人々が支え、‘生活を守る協同のしくみ’が形成<br />
され連携して行った。<br />
この「しくみ」は、非常の多様な接続点をもったネットワークによって、<br />
担い手の諸活動を支える。このネットは、神戸内外の多数<br />
の地域から智恵や職人技、技術、技能、暗黙知、経験知などの文化資源<br />
を結合し、担い手の必要に応じて、意思決定を支援し、実践を助ける。<br />
池田教授は、このような「しくみ」の代表格として、「神戸市長田区の<br />
たかとりコミュニティ・センター」を上げられた（８２ページ）。<br />
ここでの‘しくみ’は、翻訳・通訳登録者５００人、専任８名、非常勤<br />
７名によって構成される。<br />
この‘しくみ’は、非営利の多言語翻訳による市民（多言語を活用する）<br />
のための‘生活情報の供給と享受’のシステムであった。<br />
翻訳・通訳者集団が絶えず生活情報を集めては、必要なところに、翻訳<br />
して供給し、その情報によって、人々の暮らしを支える。<br />
このような、非営利のボランティア活動の組織は、生活情報を集めて、<br />
ニーズに応じて創造的に対応し、人々の暮らしを支える、独自の‘しくみ’<br />
となる。<br />
池田教授は、その土台の上で、放送ボランティア‘ＦＭわいわい’が<br />
放送技術や報道組織をもつ非営利組織として、多言語翻訳放送の機能を<br />
はたし、同時に、スポンサーやコマーシャルなど、広告収入によって、<br />
営利組織とのコラボレーションを行い、経済的基礎を強化して、組織の<br />
永続的な発展を図ってゆける点に注目されている。<br />
ここでは、あきらかに、「共通の‘しくみ’を基礎に、人々が個々の<br />
組織（放送）によって、市民活動を行い、市民のニーズに応えた仕事を<br />
起こして、市民経済（放送経済と広告経済）を構築する。<br />
池田教授は、さらに、もう一つの事例として、ＮＰＯ法人「多言語セン<br />
ターＦＡＣＩＬ」の事例を挙げられた。ここでは、登録通訳・翻訳者を<br />
媒介者として、生活文化情報の円滑な交流、暮らしの質の向上、地域の<br />
多言語環境づくり、相互に翻訳可能な体制づくりを通じて、新たな食文<br />
化の「仕事おこし」（世界の食のデリバリー事業・食文化経済）、医療<br />
通訳システム構築モデル事業（医療文化経済）などが、市民経済を創り<br />
出している。<br />
このような「しくみ」と、「市民活動が生み出す市民経済」こそ、人間<br />
復興による都市経済の再生を象徴している。<br />
この市民経済を‘コミュニティ・ビジネス’と呼んでも良い。<br />
テレビ放送などでは、震災１５年の番組で、ＮＰＯは頑張っているが、<br />
寄附が集まらずに、行き詰まっている、といったようなコメントが付さ<br />
れることもある。<br />
しかし、大不況で、企業寄附がなくなったから、ＮＰＯが行き詰まるか<br />
というと、そんなことは決してないのだ。<br />
個人の寄附も重要である。これは、日本人の生活習慣の改革である。<br />
寄附だけでなくて、協同の出資や持分（協同組合の出資金）の形成も<br />
進む。<br />
同時に、上に述べた「しくみ」があれば、非営利事業や広告事業、食文<br />
化事業や、医療文化事業が永続的に発展できるのである。<br />
このコミュニティ・ビジネスは、以前に、このブログで述べた、「通奏<br />
低音」のような‘社会にとって必要なものを、資源を結合して創造的に<br />
供給し続ける’「しくみ」があれば、間違いなく永続的に発展するので<br />
ある。<br />
このような「しくみ」は、これもこのブログでのべたように、小林俊和<br />
先生の発見によれば、イギリスの都市再生論や文化環境保護活動では、<br />
「ドメイン」と呼ばれていた。<br />
それらは、各地の教会や慈善活動の伝統、地域に根ざした地場産業の<br />
‘営み’や、地域への寄附財産、地方公営企業（小規模水力発電や上下<br />
水道、電気・ガス供給事業、地方交通など）などが構築してきた「しく<br />
み」なのである。<br />
いわゆる文化資本も、このような‘しくみ’の重要な構成要素である。<br />
<br />
日本社会でも、各地に、このような「しくみ」は数多く存在する。<br />
神戸では、キリスト教会の伝統的活動が、特に目立つが、日本の農村<br />
では、「結い」の伝統があり、お茶やお花から能や歌舞伎、さらには、<br />
これらに衣装や陶磁器、など、貴重なものをもたらす無数の地場産業、<br />
工芸の供給と享受の仕組みがある。<br />
水や交通についても、多くの「しくみ」を持っている。<br />
<br />
現代の資本主義は、残念ながら、これらのドメインを解体したり、破壊<br />
したりしてきたが、大震災を契機にして、ＮＰＯ活動が、これらの<br />
「結い」を再生し始めた。<br />
かつて、７−８世紀に行基や空海が主導した‘知識結い’は、いま、<br />
新たな技術や活動経験の継承、蓄積された社会の記憶の基礎上で、確実<br />
に再生されつつあるように見える。<br />
大震災の尊い犠牲が、まさに、日本再生の切り札を蘇らせたのである。<br />
そして、市民活動から市民経済への発展は、かつて、イギリスで、ブレア<br />
が主導した第三の道を、この日本において実証して見せた。<br />
日本経済学は、‘知識結い’を原点とし、市民の生きがいの実現を最高<br />
のアメニティに、市民のふれあいやおもいやりをホスピタリティとして、<br />
これらを生み出す新たな総合的活動を経済学の基礎とするであろう。<br />
それは、「仕事をおこし、地域を創り、人を育て、文化を高める」‘営み’で<br />
ある。</span>
]]></content:encoded>
    <dc:subject></dc:subject>
    <dc:date>2010-01-15T19:20:51+09:00</dc:date>
    <dc:creator>ikegami</dc:creator>
    <dc:rights>ikegami</dc:rights>
  </item>

  <item rdf:about="http://kotoba.ruskincollege.org/?eid=1053619">
    <link>http://kotoba.ruskincollege.org/?eid=1053619</link>
    <title>池上惇　│　私の教育人生　第34部　17　「庭造りの固有価値」（1/14/'10）</title>
    <description>今日の話題　　2010年1月14日
池上　惇

━━第34部━第三の道＝市民経済学━━━━━━
私の教育人生　17　庭造りの固有価値
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


新年冒頭の話題を、庭師にお送りしましたところ、丁重な注釈をお返し
いただきました。
ご仲介をいただきました「ま...</description>
<content:encoded><![CDATA[
<span style="font-size:medium;">今日の話題　　2010年1月14日<br />
池上　惇<br />
<br />
━━第34部━第三の道＝市民経済学━━━━━━<br />
私の教育人生　17　庭造りの固有価値<br />
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br />
<br />
<br />
新年冒頭の話題を、庭師にお送りしましたところ、丁重な注釈をお返し<br />
いただきました。<br />
ご仲介をいただきました「まほうや」松本洋子代表取締役にも厚く御礼<br />
を申し上げます。<br />
いま、師のコメントいただいて、を訂正しております。<br />
素晴らしい内容ですので、ご期待を。今日は、コメントのなかで、<br />
気付かされたことをご報告します。<br />
<br />
その中心の話題は「地域固有の植生」という私の表現に対して、師は、<br />
「先人たちが営々と受け継いできた精神及び心、高度な技術」によって<br />
「作庭し、その成長によって景観として芸術文化的表現を追求するの<br />
も我々の仕事」と、表現されていた。<br />
固有価値に関する師のご洞察に敬意を表した次第である。<br />
 <br />
確かに、自然や文化の固有価値というと、自然そのもののもつ、あるい<br />
は、自然に内在する潜在力を連想し易い。しかし、自然そのものという<br />
概念ではなくて、「先人の‘営み’を通じて、明らかにされた自然の<br />
潜在能力」という表現のほうが、より正確に内容を把握されているの<br />
ではないか。<br />
自然そのもの、という概念は、ある意味では、非常に抽象化された、<br />
人間には、認識できないかもしれない、神秘性の香りがある。<br />
それに対して、先人とのかかわりを持った自然とは、非常に具体的で、<br />
実学的な響きがある。<br />
<br />
以前にもご紹介したが、師の次のご指摘も感銘を受けた。<br />
「例えば、自然の真の姿を再生するには、石、樹木と流れ、苔や池等、<br />
人が水と触れ合う空間なども配慮が必要です。これらと人間の接点や<br />
‘ふれあい’を大事にして互いに相手のよさを認め合い、尊重しあう<br />
姿勢が必要であり、それによって、よりよい生活景観が作られます。」<br />
「放置されてきた自然では、先人たちが営々と育ててきた、景観の<br />
ための赤松が消えて、シイの大木が日光をさえぎり、本来、のびて<br />
もらいたい樹木は伸びることが出ない。潅木の茂みができて雑然と<br />
していて、先人たちが作りあげてきた景観のよさがありません。１つの<br />
原因として、燃料革命によって下草刈をしなくなり、山の景観を放置<br />
したためです。<br />
造園は、大木を間引きし、日当たりを良くし、赤松の発芽を促し、周囲<br />
と唱和しながら、１０年単位の長いスパンでゆっくりと育てるのです。<br />
散策路は、土止めに、付近の太い竹をあてると大変良い。一種の地産<br />
地消でしょうか。」<br />
では、完成稿をお楽しみに。</span>
]]></content:encoded>
    <dc:subject></dc:subject>
    <dc:date>2010-01-14T16:02:21+09:00</dc:date>
    <dc:creator>ikegami</dc:creator>
    <dc:rights>ikegami</dc:rights>
  </item>

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    <title>池上惇　│　私の教育人生　第34部　16　「市民経済がアメニティを創る」（1/7/'10）</title>
    <description>今日の話題　　2010年1月7日
池上　惇

━━第34部━第三の道＝市民経済学━━━━━━
私の教育人生　16　市民経済がアメニティを創る
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


前回の提起を考えるうちに、新年の研究会で貴重なご示唆をいただいた。
これから、まず、ご紹介したい。
...</description>
<content:encoded><![CDATA[
<span style="font-size:medium;">今日の話題　　2010年1月7日<br />
池上　惇<br />
<br />
━━第34部━第三の道＝市民経済学━━━━━━<br />
私の教育人生　16　市民経済がアメニティを創る<br />
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br />
<br />
<br />
前回の提起を考えるうちに、新年の研究会で貴重なご示唆をいただいた。<br />
これから、まず、ご紹介したい。<br />
<br />
新年、最初の研究会は、小林俊和君と二人で始まった。<br />
場所は伊勢丹１１階のアンティカフェ。ふたりとも、煮込みハンバーグ<br />
のセット。<br />
議論の中身は、この一年を占うのに、ぴったりの創造的なアイディア<br />
を聞かせて頂いた。深く研究されていて素晴らしい。<br />
<br />
小林「今日は、ホスピタリティの研究報告から始めます。」<br />
<br />
池上「なるほど。以前、小林さんは、‘アメニティを研究していると、<br />
人間の可能性や潜在能力の開発、あるいは人間発達にとって必要な<br />
雰囲気を持つ環境（自然的社会的）に、人々が誘われる（いざなわ<br />
れる）装置あるいは、道を創ること、それらを創るにはどうすれば<br />
よいかを考えたい’と主張しておられましたね。この課題と関係が<br />
ありますか」<br />
<br />
小林「ええ、ホスピタリティの語源の一つはフランス語に関わって<br />
いまして、英語表現では‘ホスピス’です。病と闘う人間の生命の<br />
可能性への挑戦ですね。私は、医療、看護、介護の専門家が、生命<br />
の可能性に挑戦できる環境を、クライアントに提供することが‘ホス<br />
ピス’だと思うのです。<br />
ホスピスへの志向を持つ人がクライアントと接する場がホスピタル<br />
であり、人々と場がうみだすアメニティを関係者が共有することを<br />
ホスピタリティと呼ぶのです。単に‘おもてなし’をするだけでは<br />
なくて、生命の可能性に対する希望を共有することによって得られ<br />
る共感あるいは共歓のひろがりだと言えるでしょう。」<br />
<br />
池上「納得しました。アメニティとホスピタリティの本質に迫る<br />
大発見ですね。」<br />
<br />
小林「いや。これができたのは、これまで、イギリスの地域公共政策<br />
の研究をしてきた成果です。とりわけ、日本ではほとんど研究されて<br />
いない‘ドメイン’という概念を見出したことが大きかったと思い<br />
ます。」<br />
<br />
池上「アメニティが、ひとびとを‘場’に誘う魅力を意味するとしま<br />
すと、ドメインというのは、‘魅力を創り出す場の背景にあるもの<br />
（例えば景観や文化財）’とか、‘魅力的な雰囲気を生み出す人々の繋が<br />
り、伝統や習慣（例えば温かな人情）’などの意味でしょうか。スロ<br />
スビーが文化資本の定義で述べている、『目に見える文化資本』と<br />
『目に見えない文化資本』の総称でしょうか。アメニティとホスピタ<br />
リティは、ドメインが、目に見えるものと見えないものの関係性から<br />
生み出される兄弟や姉妹のようなもののように感じられました。」<br />
<br />
以下次回</span>
]]></content:encoded>
    <dc:subject></dc:subject>
    <dc:date>2010-01-07T19:08:27+09:00</dc:date>
    <dc:creator>ikegami</dc:creator>
    <dc:rights>ikegami</dc:rights>
  </item>

  <item rdf:about="http://kotoba.ruskincollege.org/?eid=1051655">
    <link>http://kotoba.ruskincollege.org/?eid=1051655</link>
    <title>池上惇　│　私の教育人生　第34部　15　「自然と人の痛みが分る経営」（1/5/'10）</title>
    <description>今日の話題　　2010年1月5日
池上　惇

━━第34部━第三の道＝市民経済学━━━━━━
私の教育人生　15　自然と人の痛みが分る経営
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


新春。今年もご健康にて共に生き抜きましょう。
さて、歳末に、現代を代表される庭師から職人技や造園事業の...</description>
<content:encoded><![CDATA[
<span style="font-size:medium;">今日の話題　　2010年1月5日<br />
池上　惇<br />
<br />
━━第34部━第三の道＝市民経済学━━━━━━<br />
私の教育人生　15　自然と人の痛みが分る経営<br />
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br />
<br />
<br />
新春。今年もご健康にて共に生き抜きましょう。<br />
さて、歳末に、現代を代表される庭師から職人技や造園事業の経営に<br />
ついて、お話を伺う機会があった。<br />
新たな年に相応しい話題である。<br />
高台寺ご用達の宝飾店からのご紹介であった。<br />
<br />
いま、私は、創造型経営についてのヒアリングに熱中しているので、<br />
お願いしたところ、年末ならば、ということで実現した。<br />
寺内の休息所で、お抹茶と銘菓を頂戴し、時雨亭から御霊屋をめぐり<br />
ながらのお話である。<br />
<br />
まず、休息所で。<br />
庭師「私は、このお庭に広がる空間を、放置された自然としてでは<br />
なくて、この地に固有の自然が持つ潜在力を活かし、そのことに<br />
よって、人間にとっての景観や‘自然との繋がり’が人々にとって<br />
歓びとなるように心がけています。<br />
これは、人為的な操作や設計ではありません。自然の営み、人々の<br />
‘営み’の真の姿を発見して、それぞれの‘営み’が永続的な発展<br />
を実現できるように支援して行くことです。京都では、ひとりひとり<br />
が自分の家の前の道路を清掃し、花や緑を飾る。それによって、自分の<br />
心を伝え、町全体をきれいにする。このようなひとり一人の‘営み’を<br />
持続するには、ひとりひとりの自然に対する敬意、隣人に対する<br />
敬意、近隣のために、道を清潔にすることの歓びを共通の認識に<br />
高める必要があります。私たちは、造園を通じて、このような人々<br />
の気持ちが自然に形成されるよう、また、そのような‘場’の雰囲気<br />
を創り出すよう努力しております。」<br />
<br />
池上「それは、先生が、自然、例えば、木々が人間と同様に、呼吸し、<br />
栄養を吸収し、恰も神経を持つかのように、踏みつけられると痛がっ<br />
たり、泣いたりすると受け止めておられること、つまり、木々の<br />
‘営み’を、常々、我が身の事として実感しておられると、いうこと<br />
でしょうか」<br />
<br />
庭師「その通りです。木には、人間と同じように、悲しみや歓びを<br />
感じ、表現する力があります。それらを木の表情から読み取って、<br />
悲しみの原因を出来る限り、小さくし、歓びを最大にする。これが、<br />
われわれ、造園の職人、高度な技術を持って、固有の植生を発見し、<br />
その成長によって景観という芸術文化的表現を追求する人間たちの<br />
仕事なのです。」<br />
<br />
池上「しかし、実際の世間では、そのような思想は受容されないこと<br />
が多いのではありませんか」<br />
<br />
庭師「そのとおりです。例えば、自然の真の姿を再生するには、景観、<br />
木と水路、苔や池、人が水と触れ合う空間などへの配慮が必要で、<br />
これらと人間の接点や‘ふれあい’を大事にして互いに相手のよさ<br />
を認め合い、尊重しあう姿勢が必要です。しかし、学校の先生の中<br />
には、‘水に子供を触れさせる’と聞いただけで、不衛生だとか、万一<br />
病原菌があったときには誰が責任を取るのか、などという人もいます。<br />
出来合いの常識にこだわって、子供の真の姿が見えなくなっている<br />
のです。‘論語読みの論語知らず’になってしまうのでしょうね。<br />
私は、子供を水に触れさせないことのほうが、どれほどか、危険では<br />
ないか、と思うのです。水のよさを理解できない子供は、自然への<br />
敬意も持ちにくいでしょうし、水のない状況で苦しむ木の表情など、<br />
理解できないのではないですか。このような子供を育てたならば、<br />
平気で、自然環境を破壊したり、汚染したりする商売人、経営者、<br />
政治家や公務員をつくることになります。」<br />
<br />
池上「そうしますと、このお庭を楽しまれる観光客や地元の人々も、<br />
この途を歩きながら、木や苔の‘歓び’‘悲しみ’の姿を見て、自然へ<br />
の敬意を持ち、あるいは、苦しむ木々の悩みを解決しようとする気持<br />
ちを持つようになるわけですね。このような気持ちを人々が自然に、<br />
内発的に、持つようになり、そのなかで、美しい景観、自然の歓びを<br />
受容することになるのでしょうか。」<br />
<br />
庭師「そうあって欲しいのですが、実際に、目の前を歩いておられる<br />
方々の目線を見てください。みんな、足下をみながら、けつまずか<br />
ないかどうかを心配して歩いておられるようです。庭師を信用して<br />
くださって、安全な道だと信じ、天を仰ぎ見ていただきたい。　　　<br />
そこでは、晴れた青空に映える木々の緑と、木漏れ日が素晴らしい景観や<br />
美しい太陽の姿を凝縮しています。感動できる情景を見ないで、ゆき<br />
過ぎて行かれるのは残念です。<br />
でも、庭の鑑賞の仕方などを、料理のレシピのように提供するよう<br />
では、人々の成長を停止させます。自然に大事なこと、景観の持つ<br />
美しさだけでなくて、自然と人々の共生がもたらす気高い価値につい<br />
て、本人自身が気付かれるようにすることも、私たちの仕事なのです。<br />
おそらくは、いま、足下ばかりを見て通り過ぎてゆかれる方々が、<br />
次回、ここにこられて、足下が慣れてこられてならば、天を仰ぎ見て<br />
いただけるでしょう。<br />
では、すこし、外をあるきませんか。」<br />
<br />
池上「ありがとうございます。休憩所から時雨亭に至る道は、まだ、<br />
人手がはいっていない、荒れた空間がありますね。」<br />
<br />
庭師「ええ、この荒れた空間と、造園された空間とが境を接してい<br />
ますので、造園の意味が一層良くお分かりいただけます。放置された<br />
自然では、この土地に固有の赤松が消えて、大木が日光をさえぎり、<br />
本来は、のびるべき樹木は伸びることが出ない。潅木の茂みができて<br />
雑然とし、景観のもつ固有のよさがありません。<br />
造園は、大木を間引きし、日当たりを良くし、赤松の発芽を促し、<br />
周囲と唱和しながら、10年くらいの長いスパンでゆっくりと育てる<br />
のです。散策路は、土止めに、付近の太い竹をあてると大変良い。<br />
一種の地産地消でしょうか。」<br />
<br />
池上「赤松にこだわっておられるように拝察しましたが、それが自然<br />
の潜在力のシンボルだからですか。」<br />
<br />
庭師「その通りですね。同時に、赤松が文化財の保全に果たした重要<br />
な役割を再発見し、それを、この空間で実現したいという夢もあり<br />
ます。和歌山城の調査に行ったとき、お城の石垣の下には赤松が樹皮<br />
ごと組み合わされていて、これが土で覆われると、腐らない。永続的<br />
な築城が出来ます。日本人は古くからこのことを知っていたようです<br />
ね。このお寺の池の周辺も、赤松の木組みで囲んであります。水に<br />
つかっている限り、腐っていませんね。すごい機能です。この自然の<br />
潜在力を活かして、池という空間を保全し、建築物の立替にも、活用<br />
したい。これは、永続型造園の哲学です。」<br />
<br />
池上「このような技術や知識を次世代に伝えるための、努力も大変な<br />
ものでしょうね。」<br />
<br />
庭師「確かに。技術を伝えることも必要ですが、より大事なことは、<br />
みんなで、智恵を集めること、そして、工夫しながら仕事を共にし、<br />
歓びや悲しみを共にすること、不況になっても、共に苦労し、解雇<br />
しないことです。たとえ、報酬が減少したとしても、智恵を出し合っ<br />
て、苦楽を共にしてきた仲間なのだから、皆で、‘乏しき’を分かち<br />
合い、万一、賃金の水準が落ちても、家族のように人を大切にする<br />
ことです。<br />
経営人は上からものを言うのではなくて、互いに苦しみや歓びの分か<br />
り合える仲間として付き合うべきです。世間では、派遣切り、などの<br />
大問題が起こっていますが、日本の伝統的経営では、不況になって<br />
も、顧客の恩に応え、自然の恩に報いる姿勢で乗り切ってきました。<br />
自然の痛みを知り、人の痛みを知る経営によって、先人が創り上げて<br />
きた、よき経営の習慣や伝統を知り、それらを今に活かして顧客の<br />
要望に応えること、これこそが、創造的なアイディアの源泉です。<br />
顧客の要望は厳しいことが多いのですが、それに敢えて挑戦し、智恵を<br />
出し合うこと。そのために、普段から本音のところで、信頼関係を<br />
構築することこそ重要ですね。」<br />
<br />
池上「これからの世界に生きる経営哲学ですね。共感いたしました。<br />
また、先生が、塾生を教えるなどの機会がありましたら学習させて<br />
いただきたく存じます。今日は、貴重なご教示をいただきました。<br />
深く感謝いたしております。」<br />
<br />
交響楽の構成と市民経済学の構成と重ねて説明した箇所のご説明は次回に。<br />
<br />
</span>
]]></content:encoded>
    <dc:subject></dc:subject>
    <dc:date>2010-01-05T16:52:17+09:00</dc:date>
    <dc:creator>ikegami</dc:creator>
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    <title>池上惇　│　私の教育人生　第34部　14　「御布施の市民経済学」（12/26/'09）</title>
    <description>今日の話題　　2009年12月26日
池上　惇

━━第34部━第三の道＝市民経済学━━━━━━
私の教育人生　14　御布施の市民経済学
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


前回、梅棹忠夫先生の‘お布施’の現代的解釈についてご説明した。
繰り返そう。
「情報というもののもつ奇妙な性...</description>
<content:encoded><![CDATA[
<span style="font-size:medium;">今日の話題　　2009年12月26日<br />
池上　惇<br />
<br />
━━第34部━第三の道＝市民経済学━━━━━━<br />
私の教育人生　14　御布施の市民経済学<br />
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br />
<br />
<br />
前回、梅棹忠夫先生の‘お布施’の現代的解釈についてご説明した。<br />
繰り返そう。<br />
「情報というもののもつ奇妙な性質」から、「生産に必要な労働として<br />
は、しばしばいうにたりないし、原価計算ができない・・・・。」<br />
「じつはここで、情報の価格決定法について一つの暗示を与える方法<br />
がある。・・・・宗教家のお布施である。」<br />
「あれの価格はどうしてきまるか。お経の長さによって決まるわけ<br />
でもない、木魚をたたく労働量によってきまるのでもない。」<br />
「お布施の額を決定する要因は、ふたつあると思う。<br />
　ひとつは、坊さんの格である。えらい坊さんに対しては、たくさん<br />
だすのがふつうである。<br />
　もうひとつは、檀家の格である。格式の高い家、あるいは金もちは、<br />
けちな額のお布施をだしたのでは、格好がつかない。<br />
　お布施の額は、その二つの人間の社会的位置で決まるのであって、<br />
坊さんが提供する情報や労働には無関係である。まして、お経の経済<br />
的効果などで決まるのでは決してない。」<br />
梅棹忠夫『情報の文明学』中央公論社、1988年、49−50ページ。<br />
<br />
ここで、私がコメントしたいのは、「お経の経済的効果」について述べ<br />
られている箇所である。<br />
たしかに、御布施の額は、「お経の経済的効果などで決まるのでは<br />
決してない」。これは確かである。<br />
しかし、「お経」には、経済的効果ではなくて、文化的な価値がある。<br />
それは、「人々に自然と一体になり、無常を認識すこと」、その価値<br />
を教えてくれるし、行基や空海、法然や親鸞となってくると、古代<br />
インドの哲学や、人々の苦労の意味や、生き方や、生活技術までの<br />
広範囲な‘人類の記憶’を今に伝えてくれる。これは、僧という人に<br />
体化された文化資本の活用であるとも言えよう。<br />
これは、一種の社会貢献であり、社会の知識基盤の提供である。<br />
これに対して、社会は、どのような恩を感じ、感謝の意を表すかが<br />
問われているのではないであろうか。<br />
<br />
お経は、一種の知的な‘営み’（労働と呼ぶには、更に検討を要するが）<br />
である。<br />
この‘営み’の報酬は、直接には、僧への金銭の給付ではない。<br />
それは、僧自身の民衆救済の歓びである。しかし、恩を受けた人々に<br />
とっては、僧の存在をより確実で、将来性の或るものとするために、<br />
経済的な報酬を提供する。<br />
この報酬は、社会の人々の分担である。<br />
分担するからには、公正な分担の基準があるはずだ。<br />
そこで、分担者の格付けをして、それぞれの格の高さを評価したうえ<br />
で、格は高いが、所得はない人もあれば、格は低くても、所得のある<br />
人もいる。<br />
そこで、経済的な負担の分担関係を決める基準として、「所得に応じた<br />
分担」を決め、実行するのである。<br />
<br />
新年は、この興味のある市民経済を、さらに検討してみることにしよう。<br />
では、良いお年を。<br />
<br />
＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊<br />
<br />
12月27日〜1月4日まで、更新をお休みさせていただきます。<br />
1月5日（火）より、通常通りの更新となります。</span>
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    <dc:subject></dc:subject>
    <dc:date>2009-12-26T16:03:38+09:00</dc:date>
    <dc:creator>ikegami</dc:creator>
    <dc:rights>ikegami</dc:rights>
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