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    <title>池上惇ブログ文殊文庫便り</title>
    <link>http://kotoba.ruskincollege.org/</link>
    <description>池上惇（京都大学名誉教授／文化政策まちづくり大学院大学設立準備室室長）によるコラムです。&lt;br /&gt;
できるだけ毎日の更新を目指しております。&lt;br /&gt;
皆様からのテーマのご希望も受け付けております。&lt;br /&gt;
ご希望の方はご連絡下さい。</description>
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    <title>池上惇　│　私の教育人生　第26部　6　「技と創造性―中小商工業人と女性」（7/4/'09）</title>
    <description>今日の話題　　2009年7月4日
池上　惇

━━第26部━経済学革命━━━━━━
私の教育人生　6　技と創造性―中小商工業人と女性
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


何か、本を書くときは、読者の顔を思い浮かべながら執筆すると、
良い本ができる。
これは、私の信条である。
こ...</description>
<content:encoded><![CDATA[
<span style="font-size:medium;">今日の話題　　2009年7月4日<br />
池上　惇<br />
<br />
━━第26部━経済学革命━━━━━━<br />
私の教育人生　6　技と創造性―中小商工業人と女性<br />
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br />
<br />
<br />
何か、本を書くときは、読者の顔を思い浮かべながら執筆すると、<br />
良い本ができる。<br />
これは、私の信条である。<br />
これまで、約40冊ばかり単著を出版してきたし、そのうち、<br />
学術書と言われるものも多い。<br />
有り難いことに読者が受容してくださったから続いたのだろう。<br />
受容されてきた最大の理由は、私が、時代の要請に正面から向き<br />
あうこと、そして、人々とともに、歩む具体的な方向性を提示<br />
しえたからだと思う。<br />
<br />
1960年代に保育を研究して市民経済のシーズを発見したので、<br />
それ以後、多様なシーズを発見して事業化する主体の側の研究を<br />
進めるようになった。<br />
そのなかで、とくに、強い印象を持っているのは、中小商工業人と、<br />
女性の仕事である。<br />
<br />
これらの方々は、「金儲け」よりも、「まず、仲間との共生」<br />
「顧客第一」「技と創造性を誇りとする＝職人をめざす」<br />
「生活のための経営」など、非営利の目的が明瞭であった。<br />
そして、有限会社や協同組合、株式会社などの経営形態にかか<br />
わらず、人々の「生活文化」に注目し、そこにシーズを発見し、<br />
人々の人生に寄り添おうとする経営姿勢が一貫していた。<br />
これらの方々は、私が長年、「文化による‘まちづくり’」活動、<br />
保育、障害者、協同組合、企業メセナ、学会・大学院設立などに<br />
打ち込んできたことを評価して下さって、「共に歩む」ことを認めて<br />
くださった。<br />
<br />
最近、ある商工団体の雑誌に私が1983年に書いた『地域づくりの<br />
教育論』からの引用をしてくださった方がおられる。<br />
その引用の内容は、次のようなものであった。<br />
?池上は、「仕事おこし」や創造型経営を提唱して「今日の人間は、<br />
カネを上手に管理して、組織を民主主義的に経営」することが<br />
望ましい、と主張している。<br />
自主・民主・公開の経営である。これは、日本の経営の中にある<br />
差別体質や生存競争奨励型に対して非常に特徴的である。<br />
評価して良い。<br />
?彼は、人々は、「この‘厳しい生存競争の中で身につけた経営や<br />
組織運営の力量’を活かし」てこそ、創造型経営ができる、と<br />
主張する。この力量には、中小商工人の職人技や創造性、女性の<br />
シーズ発見力が含まれる。女性は、生活の苦しみの中から、失わ<br />
れた相互扶助を想い起こし、新たな事業の種子を発見する力量を<br />
高めているのである。<br />
?さらに、池上は「情報ネットワークを活用して、自主的で民主<br />
主義的な集団をつくり」組織のカベを越えて共通の文化基盤や<br />
知識基盤を持って欲しい、という。ここでは、とくに、女性の<br />
‘友人ネットワーク’構築力は抜群であると評価しうるであろう。<br />
?そのなかで、「人間発達の思想」と活動を「すべての日本国民の<br />
ものと」する‘営み’が実現し、希望を持って生きることが出来る、<br />
と。人として「尊厳ある労働」を求める意欲は女性に強く見られた<br />
こと。困難に耐える力と、人間らしく、いきがいをもって生きよう<br />
とする意欲が中小商工人と女性には非常に強いことが強調されてよい。<br />
<br />
たしかに、この４点は私の「創造型経営」論の基本的な特徴であった。<br />
それは、女性を差別せず、生存競争に対峙し、その厳しさに耐える。<br />
そして、厳しさの中で‘身につけた技能や技術、経営ノウハウ’を<br />
活かし、広い文化や知識のネットワークをもって、自らを高めつつ<br />
「人間発達」という共通の目標を持って生き抜こう、という<br />
メッセージである。<br />
<br />
私は、共同保育所づくりの現場や、中小倒産企業の自主再建の<br />
‘営み’、協同組合経営における女性の進出、女子大学における<br />
社会人女性の大学院進学、企業メセナ協議会における女性専門職<br />
の輩出、などを目の当たりにして、私なりの「創造型」経営論に<br />
手ごたえを感じていた。<br />
いま、大不況を向かえて女性の失業や雇用問題は一段と厳しい。<br />
しかし、これら４点を出発点とし、地球環境問題や貧困問題、<br />
人口問題や国際競争、分散型産業発展、地方分権などの新たな<br />
要因を考慮しながら対処すれば、希望ある「創造型経営」が展開<br />
しうる。<br />
それが、私の希望であり星である。</span>
]]></content:encoded>
    <dc:subject></dc:subject>
    <dc:date>2009-07-04T17:50:26+09:00</dc:date>
    <dc:creator>ikegami</dc:creator>
    <dc:rights>ikegami</dc:rights>
  </item>

  <item rdf:about="http://kotoba.ruskincollege.org/?eid=992919">
    <link>http://kotoba.ruskincollege.org/?eid=992919</link>
    <title>池上惇　│　私の教育人生　第26部　5　「シーズの発見とネットワーク化」（7/3/'09）</title>
    <description>今日の話題　　2009年7月3日
池上　惇

━━第26部━経済学革命━━━━━━
私の教育人生　5　シーズの発見とネットワーク化
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


私は、「仕事おこし＝創造型経営」だと確信している。
これにあたる言葉に「起業」があるが、なにか、アメリカ・ビジ...</description>
<content:encoded><![CDATA[
<span style="font-size:medium;">今日の話題　　2009年7月3日<br />
池上　惇<br />
<br />
━━第26部━経済学革命━━━━━━<br />
私の教育人生　5　シーズの発見とネットワーク化<br />
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br />
<br />
<br />
私は、「仕事おこし＝創造型経営」だと確信している。<br />
これにあたる言葉に「起業」があるが、なにか、アメリカ・ビジネス<br />
の特徴である「ベンチャー起業」のイメージがつよくて、しっくり<br />
来ない。<br />
<br />
ベンチャー起業は、ベンチャー起業家に「ベンチャー・マネー」を<br />
供給する投資家がいる。<br />
投資家は多数の起業家の企画書を審査しヒアリングをして、利潤の<br />
獲得の可能性に焦点をあわせつつ「極めてリスクの多い」事業に<br />
投資する。<br />
この投資には保険がかけてあって万一のことがあるのが当然と<br />
言うことになっている。<br />
ある意味では、一種の投資ゲームであり、投機と言われかねない<br />
要素がある。<br />
いかにも、ゴールド・ラッシュで移民をひきつけ、鉄道を引いて、<br />
土地・証券投機で急成長したアメリカ社会でないと通用しがたい。<br />
生産者と消費者の距離が遠く、間に「投資家」という金融資本が<br />
控えている。<br />
「投資家」が生産者と消費者の情報を付き合わせ、複数の生産者を<br />
競争させながら売買価格を決めてゆく。<br />
そして、これが公正な取引であると言うことになっている。<br />
<br />
これに対して、日本での起業は、大部分が「仕事おこし」である<br />
と私は思っている。<br />
日本では、商人社会の伝統として、事業家が、最初から「金儲け」<br />
をめざしても、それでは、かえって儲からない、と言う思想が根強い。<br />
なぜかと言うと、日本社会は生活文化の水準が伝統的に高いので、<br />
顧客や消費者の顔が見えている。かれらの生活文化に寄り添って、<br />
はじめて、事業活動のシーズが発見できる。<br />
このシーズの発見は、多くの場合、家族や地域のなかの「相互扶助」<br />
への関心や、改善への試みに依存している。<br />
<br />
相互扶助の典型は、「子育て」である。<br />
このような相互扶助の全体像を整理してみよう。<br />
（１）相互扶助の空間・場＝「建築・住居・庭」「インテリア」<br />
などにかかわる相互扶助。<br />
（２）身体の生理・新陳代謝＝「入浴」「休養」「睡眠」「化粧」<br />
「衣装」「介護」「食事・調理」「清掃」「衛生」「排泄」、など、<br />
人間の生理そのものに関わる相互扶助。<br />
（３）精神活動とコミュニケーション＝「子育て」「趣味」「学習」<br />
「思索」「読書」「家庭教育」「勉学」「通信」「研究」などに関わる<br />
相互扶助。<br />
（４）交流＝「移動」「買い物」「外出」などにかかわる相互扶助。<br />
（５）水・エネルギー（とくに、‘明かり’）を活用して、これらを<br />
支える相互扶助。<br />
これらすべてについて、「新たな場のつくりかた」から「用具の<br />
改善改良・イノベーション」「人材教育」「研究活動」などが<br />
「仕事おこし」「創造型経営」のシーズとなる。<br />
さらには、これらの４領域にかかわって、現代を代表する産業や<br />
企業が発展してきたことが理解されるだろう。<br />
<br />
例えば、（１）は、現代産業のなかの、建築・インテリア産業を生んだ。<br />
また（２）は、薬品・化学産業を。（３）は、教育・文化・研究産業、<br />
（４）は、自動車を中軸とする機械工業、（５）は、水産業とエネル<br />
ギー産業を誕生させた。<br />
このようにみれば、相互扶助は、社会のすべての産業の源泉である。<br />
<br />
例えば、入浴に着目すれば、風呂屋、温泉事業。化粧、介護に<br />
着目すれば、薬局や福祉事業所。建築、インテリア、衣装に着眼<br />
すれば、地場産業、着物、はきもの、傘。調理は外食産業を生み、<br />
買い物は商店街を発展させる。<br />
移動は、自転車や自動車、鉄道への発展を伴う。家庭教育が塾、<br />
学校教育や生涯教育へと進む。<br />
<br />
この視点から見れば、「仕事おこし」は無限の可能性があり、<br />
創造型経営によって人類は永続的な発達を遂げるはずだと言う<br />
ことが出来るかもしれない。<br />
だが、金銭的価値の誘惑の下で、科学や技術が独走し「人間の<br />
創意工夫・手仕事」の及ばない大量生産・大量消費・大量廃棄<br />
のシステムを構築したとき、地球環境問題が起こり、巨大な<br />
官僚組織が「仕事おこし」を圧迫し、「下請け化」し始めた。<br />
<br />
この厳しい生存競争の中で、多くの産業は、相互扶助との関係を<br />
断ち切られた。<br />
生産の独走は過剰生産や失業を増大させ、大企業や下請け企業を<br />
破産に追い込んで、貴重な産業を衰退させ、産業資源はばらばらに<br />
されて工場の去った跡地に破片となって飛び散った。<br />
そして、いま、多くの中小企業、メセナ型企業、ＮＰＯ，非営利<br />
組織、協同組合などが、相互扶助の精神やノウハウを引き継ぎ<br />
ながら、これらの破片を拾い集め、ネットワークを構築し、新たな<br />
「仕事おこし」に着手し始めている。<br />
分散型エネルギーを活用し、地産地消型の産業を再生させ、相互<br />
扶助との密接な関係を持った産業の再生。福祉とアメニティの<br />
内容を見定めて、仕事を起こし、地域を創り、人を育て、文化を<br />
高める‘営み’が、この大不況を機に再開されたのである。</span>
]]></content:encoded>
    <dc:subject></dc:subject>
    <dc:date>2009-07-03T19:01:41+09:00</dc:date>
    <dc:creator>ikegami</dc:creator>
    <dc:rights>ikegami</dc:rights>
  </item>

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    <link>http://kotoba.ruskincollege.org/?eid=992911</link>
    <title>池上惇　│　私の教育人生　第26部　4　「相互扶助活動の市民経済化」（7/2/'09）</title>
    <description>今日の話題　　2009年7月2日
池上　惇

━━第26部━経済学革命━━━━━━
私の教育人生　4　相互扶助活動の市民経済化
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


保育所に象徴される保育事業は、従来の生活文化の大変革であった。

人間は、原始の時代から家族を生活文化の創造と型の...</description>
<content:encoded><![CDATA[
<span style="font-size:medium;">今日の話題　　2009年7月2日<br />
池上　惇<br />
<br />
━━第26部━経済学革命━━━━━━<br />
私の教育人生　4　相互扶助活動の市民経済化<br />
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br />
<br />
<br />
保育所に象徴される保育事業は、従来の生活文化の大変革であった。<br />
<br />
人間は、原始の時代から家族を生活文化の創造と型の形成の場と<br />
してきた。<br />
一般に、文化というものは、生み出される瞬間は創造的なアイディア<br />
を伴っている。<br />
これは、「生活の智慧」と呼ばれていて現代生活でも多くの人々は<br />
日常的に「生活の必要から」貴重な智慧を生み出して生活を充実<br />
させている。<br />
それらは、Ｗ．モリスが指摘するように、労働者の狭小過密な<br />
生活空間にも趣味の良い調度や装飾品を持ち込み、彼らの精神生活<br />
を豊かにして、新たな世界への構想力を育てる。<br />
この構想力が彼の生き甲斐やいき方に影響して積極的な人生を創り<br />
出す。<br />
<br />
モリスの『ユートピアだより』には、‘生活の芸術化’による<br />
「新たな人生」のモデルが見事に描き出されていた。<br />
これらの生活の智慧の中でも多くの創造性が発揮されたのが、<br />
「保育」という親子の‘営み’である。幼児は母乳で育てるのが<br />
良いのか、粉ミルクで育てるのが良いのか、などの検討から始<br />
まって、幼時の体操のあり方、睡眠のとり方、栄養の取り方、<br />
玩具の構造や機能、絵本から読み聞かせの内容まで、いたるところ、<br />
生活の智慧に満ち溢れていて、親や子の創意工夫なくしては、<br />
保育は成り立たない。<br />
<br />
では、すべてが個別的、個性的であるのかというと、実はそうでは<br />
なくて、保育にも「伝統の型」がある。<br />
型というものは、創造の成果が広く認められて人々の習慣の中に<br />
「言い伝え」「子育てノウハウ」として定着したものである。<br />
世阿弥ではないが、創造的なアイディアは、「型」となって普及<br />
してこそ、社会的な影響力を発揮できる。<br />
<br />
私どもの時代には、保育の型といえば、「いない。いない。ばー」<br />
から始まる幼児とのコミュニケーションの伝統的な型と、子守唄、<br />
それに、天井から吊るされた回転する遊具、『揺り篭』の存在で<br />
あろうか。<br />
日本の伝統的な子守唄と、西欧から渡来した子守唄では、かなり、<br />
雰囲気が違うが、共通していたのは、日が暮れてゆく中か、静かな<br />
午後に、ゆっくりと時間が流れ、自然の森や鳥の姿を連想しながら<br />
眠りに落ちる雰囲気であった。<br />
ここには、「相互扶助の‘営み＝文化’」があり、それには、「創意<br />
工夫、用具、場、人の要素」が関係している。<br />
<br />
この相互扶助が、「家庭」から「社会」へと展開するのが「保育所」<br />
「保育事業」である。<br />
この展開のきっかけは、旧来の生活文化を転換して、相互扶助の<br />
‘営み’の一部を、「保育所」という公共空間＝場に委ね、ある種の<br />
「信託」を行うことである。<br />
この保育所という「場」の誕生は、市民経済や市民経済学に<br />
とって決定的な意味を持っていた。<br />
それは、従来は、家族共同体や家族コミュニティのなかにあった<br />
相互扶助の‘営み’を、家族コミュニティの外部にある「保育所<br />
という新たな場」との密接なかかわりを持って展開することを<br />
可能にしたからである。<br />
<br />
更には、この新たな「場」では、家族内のコミュニティと決定的に<br />
異なる社会環境が存在していた。<br />
それは、市場経済を媒介として成立している「事業体」としての<br />
保育所である。<br />
この事業体で保育活動を行うには、「保育サービス」という労働<br />
あるいは仕事を行う専門職者を事業体が確保し「保育サービス<br />
への対価」を支払わねばならぬ。<br />
しかしながら、この対価の支払いは、市場経済の原理に従うの<br />
ではなくて、「対価の支払いをする人々」の‘所得水準’を考慮し、<br />
支払えない人々には、自治体が補助金と言うかたちで市民の租税、<br />
または、免税つきの補助金制度など準公共資金をあて、市民全体で<br />
支援しながら「保育事業」を成り立たせゆくのである。<br />
<br />
このようななかで、「市民全体で公共の高い事業を支援し、市民<br />
主体の事業体が、保育の専門家を育てながら、市場経済の環境<br />
を活かして質の高い保育サービス、福祉文化を市民に提供し、<br />
相互扶助を補強する仕組み」が誕生した。それを保育にかかわる<br />
「市民経済」と呼ぶことが出来る。<br />
このような市民経済は、各家庭の中にあった相互扶助に着目すれば、<br />
その生活文化の領域すべてに渡って、「市民経済化」が可能となる。<br />
例えば、「入浴」「化粧」「インテリア」「調理」「買い物」「家庭教育」<br />
「通信」「勉学」「学習」「思索」「読書」「趣味」「住居修理」「庭仕事」<br />
「清掃」「排泄」、など。これらすべてについて、「新たな場のつくり<br />
かた」から「用具の改善改良・イノベーション」「人材教育」「研究活動」<br />
などが「「仕事おこし」「創造型経営」のシーズとなる。<br />
そして、このシーズを発見し育てるには、それまでの「創造型経営」<br />
の多様なケースから学習し、構想力を育てる力量が求められる。<br />
また、構想力の発達には、芸術家や学術人のもつ「作品や論文を<br />
構想し、構成する力量」から学習しなければならない。<br />
この意味では、「仕事おこし」を志す人々は、芸術と学術に親しみ、<br />
思索し創造する人々を敬愛するモラルが必要である。<br />
本題に帰ろう。ここでの「保育事業」は、市民経済の主体の一つ<br />
であり、市民の所得格差に関わりなく、市民が必要とする「保育<br />
サービス」を提供する。<br />
<br />
ここにおける「保育事業」は一種の『創造型経営』であって、<br />
相互扶助における保育の伝統や型、創造性から学び、子供を集団<br />
の中で相互に支えあいながら育てると言う新たな「場」をつくり、<br />
新たな用具を発明し、新たな保育のアイディアを生み出して実践<br />
できる専門職者を持続的に育成する。<br />
このような「保育事業体」は、当初の「里親支援制度」から、<br />
「共同保育所」、「社会福祉法人・保育所」あるいは、「自治体直営<br />
保育所」などへと変化してゆく。<br />
<br />
しかし、誕生の際に発見しうるように、保育事業は、この社会<br />
における新たな「創造型経営」であり、「仕事おこし」である。<br />
この事業は、相互扶助を「市民経済化」することによって、新たな<br />
サービス市場を開拓し、新たな専門職者を雇用し、新たな生活文化<br />
を生み出して、「場」を創造し、「用具」にイノベーションをもたらす。<br />
「家庭」と「保育所」を繋ぐことによって、保育を‘まち’に<br />
ひきだし、市民を「保育所を‘核’とした‘まちづくり’」へと<br />
眼を開かせる。<br />
これは、共働き時代や保育の発展の時代の、新たな市民経済の誕生<br />
であり、市民経済学は、市民経済が人々の健康や幸せ、この‘まち’の<br />
アメニティを、どのように高めるかを研究しなければならぬ。<br />
「仕事を起こし、地域を創り、人を育て、文化を高める」過程が、<br />
ここには、見られる。</span>
]]></content:encoded>
    <dc:subject></dc:subject>
    <dc:date>2009-07-03T18:53:13+09:00</dc:date>
    <dc:creator>ikegami</dc:creator>
    <dc:rights>ikegami</dc:rights>
  </item>

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    <link>http://kotoba.ruskincollege.org/?eid=992108</link>
    <title>池上惇　│　私の教育人生　第26部　3　「市民経済学の誕生＝保育の現場から」（7/1/'09）</title>
    <description>今日の話題　　2009年7月1日
池上　惇

━━第26部━経済学革命━━━━━━
私の教育人生　3　市民経済学の誕生＝保育の現場から
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


1970年代、私は、人間学を基礎に、人間同士の多様な契約関係
を考えてみた。
そして、多様な契約関係の中で、経...</description>
<content:encoded><![CDATA[
<span style="font-size:medium;">今日の話題　　2009年7月1日<br />
池上　惇<br />
<br />
━━第26部━経済学革命━━━━━━<br />
私の教育人生　3　市民経済学の誕生＝保育の現場から<br />
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br />
<br />
<br />
1970年代、私は、人間学を基礎に、人間同士の多様な契約関係<br />
を考えてみた。<br />
そして、多様な契約関係の中で、経済契約の果たす役割を深めて<br />
みようと思ったのである。<br />
<br />
法学で契約と言えば、民法であろう。<br />
契約関係の研究というのは、民法の研究であり、難しいものでは<br />
ないか、という印象をお受けになるかもしれない。<br />
しかし、実態に付き合って考えてゆくと難しさはなくて、大変<br />
面白いものであった。<br />
<br />
私が大きな関心を持ったのは、「保育」に関係する契約であった。<br />
このような契約に興味を持ったのは、おそらく、当時では、<br />
研究者の中では私だけであった。<br />
その理由は、24歳と言う若さで結婚し、すぐに、長男が誕生し、<br />
その上、妻は学部（農学）の学生、私は、経済学研究科の大学院生<br />
であったからであろう。<br />
若いから感性が豊かで、さらに、旧来の生活慣行にはない、「保育所<br />
にお願いして子供を育てる」という決断をしたからである。<br />
この決断と言うものは、<br />
「子供が生まれて、すぐにでも、共働き（というより‘共アル<br />
バイト’であったが）をしなければならなかった」<br />
という切羽詰った事情による。<br />
無収入で経済的に追い詰められていたから当然である。<br />
だが、この「経済的な理由による、それ以外にはない、追い詰め<br />
られた状況での決断」が、意外にも、創造的なアイディアの源泉に<br />
なるのである。<br />
<br />
他方で、妻の方は、最初から<br />
「子供は保育所で育てるほうが自然であり、家族の中だけで<br />
育てるよりも、よく育つ」<br />
と考えていた。凄い先見性である。<br />
<br />
従来は、夫婦の分担関係の中で、「仕事は夫、育児は妻」という<br />
固定した関係が支配的であった。<br />
それを根底から覆して「仕事は夫と妻、育児は保育所」という<br />
関係に変えるのである。<br />
周囲からの非難は当然のこと、その中で、考えることに大きな<br />
意味があった。<br />
<br />
当時は、保育所といっても、立派な建物があるわけではなくて、<br />
普通のご家庭が社会サービスとして、午前９時から夕方４時まで<br />
育児のお世話をしてくださる。<br />
京都市から補助金が出ていて、私どものような無収入な者は、<br />
保育料がゼロであり、所得に応じて負担する仕組みであった。<br />
事業主体は民間にあり、いわば、ボランティアの先駆である。<br />
一種の有償ボランティアであって、公的な補助によって、<br />
低所得層の保育料が免除されていたのである。<br />
<br />
ここでは、夫婦の契約関係によって生まれ出た子供たちが、納税者<br />
としての市民との契約によって、補助金の支援の下で、市民によって<br />
教育されること。<br />
そこでは、夫婦と保育事業者との、契約関係が媒介となって、<br />
保育サービスの提供と、その対価の支払い、を巡る経済契約が<br />
成立し、低所得層には、この経済契約における負担が公的な<br />
組織によって代替されている。<br />
<br />
このように複雑な契約関係の総体を取り扱う社会科学は、まだ、<br />
存在しなかったし、非営利組織を取り扱う経済学も、まだ、<br />
日本には上陸していなかった。<br />
「保育事業」「公的支援」「保育労働と、その対価」など。<br />
これらは、従来の営利企業を念頭に置く経済学にはない、「非営利<br />
事業」を対象にした経済学の必要性を示唆していた。<br />
しかも、出発点は、政府や自治体の経営する保育所ではなくて、<br />
「共同保育所」や「社会福祉法人・保育所」であった。<br />
いわば、保育所は、「第３の道」「市民セクターの経済」を正面<br />
から提起していたのである。<br />
この仕組みは、一種の「事業モデル」であって、この事業モデルが<br />
生み出す「創造的成果と公正な配分」を研究することは、ひとつの<br />
「経済学革命」を意味していたのである。</span>
]]></content:encoded>
    <dc:subject></dc:subject>
    <dc:date>2009-07-01T13:26:37+09:00</dc:date>
    <dc:creator>ikegami</dc:creator>
    <dc:rights>ikegami</dc:rights>
  </item>

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    <title>池上惇　│　私の教育人生　第26部　2　「人間発達とは」（6/30/'09）</title>
    <description>今日の話題　　2009年6月30日
池上　惇

━━第26部━経済学革命━━━━━━
私の教育人生　2　人間発達とは
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


「人間発達」とは何か。
もしも、「人間学」という学術があるとすれば、おそらくは、
この学術が、この問いに答えてくれるはずであ...</description>
<content:encoded><![CDATA[
<span style="font-size:medium;">今日の話題　　2009年6月30日<br />
池上　惇<br />
<br />
━━第26部━経済学革命━━━━━━<br />
私の教育人生　2　人間発達とは<br />
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br />
<br />
<br />
「人間発達」とは何か。<br />
もしも、「人間学」という学術があるとすれば、おそらくは、<br />
この学術が、この問いに答えてくれるはずである。<br />
<br />
ところが、この「人間学」という概念が、実際には、開発途上で、<br />
未確立なのだ。<br />
日本語の辞書にも「人間」「人間工学」はあるが、「人間学」はない。<br />
もちろん「人間発達」もない。（金田一京助編『新明解国語辞典』四版、<br />
三省堂、1992年）<br />
同時に、「人間」については、つぎのような興味深い記述がある。<br />
｛もと、人と人との間柄の意｝（一）｛他の人間と共に何らかの<br />
かかわりを持ちながら社会を構成し、なにほどかの寄与が期待<br />
されるものとしての人、（二）個人の性格や言動を総合してみた、<br />
他人とのかかわりのよさ・悪さ、（三）「古」人の住む、この世。<br />
このうち、人間学に近い内容と思われるのは（一）である。<br />
これは、人が人と関わりながら互いに影響を与えあうだけでなくて、<br />
社会の進化にも、この「かかわり」が貢献する、という趣旨であろう。<br />
そうなれば、人間学は、「人間が他人とのかかわりの中で、各人の<br />
潜在能力が引き出されて、あるいは、互いに足を引っ張り合って、<br />
影響を与えながら、社会に対して、正か、負かは、定かでないが、<br />
何らかの貢献をする（マイナスの貢献もありうる）」過程を観察し、<br />
その‘営み’が持つ意味を研究する学問」である。<br />
<br />
これは、どこにでもある人間相互の関係である。<br />
みんなが日常的に悩んでいる問題でもあろう。<br />
とくに、日本社会では、互いに足を引っ張り合って、いじめあう、<br />
これによって、生命力や生活力が失われると言うのは、悲惨な<br />
現実である。<br />
これを「希望」の持てる方向に転換するには、どうすればよいのか。<br />
<br />
むかし、Ｊ．Ｍ．ブキャナンの財政学や経済学を勉強していた頃、<br />
かれが、人間関係のなかに、「経済契約」をいれると、この契約の<br />
内容によって、「ゼロ・サム・ゲーム」と、「ポジティブ・サム・<br />
ゲーム」のふたつのケースが生まれる、と書いていたのを発見した<br />
ことがある。<br />
普通のゲーム論だと、ゼロ・サム・ゲーム、つまり、一方が得を<br />
すれば、他方が、損をする。<br />
このゲームを、どちらも、成果もないし損害もない「ゼロ状態」<br />
＝ひきわけ、にしようとすれば、ゲームが成り立たない。<br />
均衡状態であり、再試合ということになる。<br />
しかし、ブキャナンはあえて<br />
「両方とも得をするゲーム」＝「ポジティブ・サム・ゲーム」<br />
を持ち込むことによって、ゲームが社会への貢献を行うケースが<br />
あることを示そうとした。<br />
これは、具体的にみれば、「互いに学びあって潜在能力を引き出し<br />
あう」ことを意味する。<br />
そして、人々が、人格的にも、学術的にも、あるいは、芸術的にも<br />
高まりあって、その結果、社会には、安定や安心、学術の発展、<br />
芸術的な成果、などがもたらされると言うわけである。<br />
この人間学を、「人間発達」論と名付けてみよう。<br />
そして、この「正」と「負」の「人間関係」ともいうべきものを、<br />
念頭におきながら、「経済契約」つまり、一方の人間が、財を供給し、<br />
他方の人間が財を購入して消費する、という売買関係を検討して<br />
みよう。<br />
この売買関係の中で、「両者共に得をする」「それによって、<br />
社会に貢献できる」とは、どのような場合であろうか。</span>
]]></content:encoded>
    <dc:subject></dc:subject>
    <dc:date>2009-06-30T18:03:33+09:00</dc:date>
    <dc:creator>ikegami</dc:creator>
    <dc:rights>ikegami</dc:rights>
  </item>

  <item rdf:about="http://kotoba.ruskincollege.org/?eid=990610">
    <link>http://kotoba.ruskincollege.org/?eid=990610</link>
    <title>池上惇　│　私の教育人生　第26部　1　「人間発達の経済学」（6/27/'09）</title>
    <description>今日の話題　　2009年6月27日
池上　惇

━━第26部━経済学革命━━━━━━
私の教育人生　1　人間発達の経済学
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


かつて、『経済学50年』と言う表現が多くの読者に受容された
時代がある。
この厳しい変動の時代を生きぬかれた経済学者からの...</description>
<content:encoded><![CDATA[
<span style="font-size:medium;">今日の話題　　2009年6月27日<br />
池上　惇<br />
<br />
━━第26部━経済学革命━━━━━━<br />
私の教育人生　1　人間発達の経済学<br />
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br />
<br />
<br />
かつて、『経済学50年』と言う表現が多くの読者に受容された<br />
時代がある。<br />
この厳しい変動の時代を生きぬかれた経済学者からのメッセージ<br />
であった。<br />
<br />
私は、75歳を過ぎても、かけだしの身で、未だに、迷い多き<br />
「季節外れの青年期」を送っている。<br />
到底、このようなテーマでは、書けそうもない。<br />
そこで、「第二の擬似‘青年期’らしい」タイトルということに<br />
なると、やはり「経済学革命」を選ばざるを得ない。<br />
このテーマは、私の長い青年期を掛けてきたものの、決して到達<br />
することのない目標であった。<br />
<br />
到達できない理由は、なかり、はっきりしている。<br />
日本社会では、このようなことを考える人間は、既成の学術界<br />
からは嫌われる、ということである。しかし、嫌われるからと<br />
言って、妥協してしまうと精神状態が悪くなる。<br />
病気になってもつまらない。まあ、いいや、と、かなり、居直って<br />
直進する。<br />
直進しているうちに理解してくださる方々も増える。<br />
<br />
では、最初から、居直って、直進した理由は何か。次の通り。<br />
私は、「肉体的に、本当に（擬似ではなく）」若い頃に、当時の<br />
経済学の定説を実地に応用してみて、どれも、一長一短である、<br />
との実感があったからである。<br />
実地にと言っても、いまのように、名誉教授などという肩書き<br />
がついてからの調査やヒアリングではない。<br />
手探りで、経済問題を実地に調査し、解決の方向を見定めるの<br />
であるから、なんとも、頼りない話ではある。<br />
<br />
それでも、分ったことは、「経済学は‘論理性の高さ’や、‘理論の<br />
斬新さ’などでは、かなりのものだが、実地に応用して、人間の<br />
生きる‘糧’にしようとすると全くダメ」ということであった。<br />
つまり、生きている人間の‘営み’にたいして、活力を与え、<br />
生きる方向性、エイトスとなるべきものがないのである。<br />
生き甲斐への欲求に答えられないのだ。<br />
<br />
実地に調査していると、端的にいえば、企業倒産、失業問題に<br />
必ず、突き当たる。<br />
男女の昇進・賃金格差などひどいものだ。これに対して、「失業は<br />
一時的摩擦に過ぎない」と平気で言ってのける経済学がある。<br />
他方で、「失業を解決するには資本主義国家を革命によって退場させ、<br />
社会主義（共産主義への過渡期）国家を建設する他はない」と<br />
断言する経済学がある。<br />
その中間には、「国家が公共事業によって失業者を雇用する」という<br />
経済学があったが、このようにして得た雇用が<br />
「人々に‘いきがい’＝‘人間が生きるための糧’をもたらすのか」<br />
ということになれば、これは、どうも、難しい。<br />
<br />
実際に破産企業の再建に立ち上がる労働者には、顧客を惹きつける<br />
高い人格、信頼、技術や技能があった。そして、それがあれば、<br />
自力で再建してゆくのだ。<br />
日本社会には、‘いきがい’をもって仕事をしてきた職人肌の<br />
人々が多い。そして、その人々を愛し、信用して受け入れる人々も<br />
多いのだ。<br />
<br />
私は、経済学者の意見が、どれも、真理の一面をついているので<br />
あろうが、‘いきがい’をもたらす経済理論を開発してから、<br />
それぞれの主張を上手に組み合わせて、はじめて、経済学の<br />
全容が明らかになるように思えた。<br />
「経済学研究には、‘人間学’の研究が必要である」。<br />
これは、若い頃（肉体年齢の）に、私が直観で獲得した研究の<br />
方向性であった。いまは、この直観が経験や調査や思索のなかで、<br />
「確信」にまで変化したような気がする。<br />
「経済学は人間の生き甲斐とはなにか」の問に応えていない、<br />
という私の主張に対して、反論があった。それらは、<br />
「経済学は科学であって、倫理や道徳ではないから‘いきがい’<br />
などといわれても困る」。<br />
これが最も多かった。<br />
<br />
さらに、次の二つの意見があった。<br />
「科学である以上は、社会や経済の法則を発見し、その法則が<br />
経済発展に有効ならば、それを、守り、法則の作用を妨げない<br />
ようにすれば良い。自由競争が資源の最適な活用や所得の公正な<br />
分配に繋がるのであれば、規制を撤廃しても良いではないか」<br />
「もしも、法則が社会の発展にとって有害であれば、その社会を<br />
革命によって改造し、そのような法則から自由な社会を人間が<br />
つくればよい」<br />
ということであった。<br />
<br />
前者は資本主義社会を肯定して述べられていることが多く、<br />
後者は、共産主義社会を展望して述べられていた。<br />
いずれの説も実態には遠くて信用できなかった。<br />
そこで、私が考えたのは、次の順序で経済学の革命を図ること<br />
であった。<br />
<br />
?「人間発達」という「人間学」ともいうべきものを、まず、<br />
検討し、人間学の基礎に「創造」と「享受」の人間関係をおく。<br />
これは、ラスキン、マーシャルらから学んだ。<br />
?次に、人間関係を担う経済契約を研究する。例えば、市場経済<br />
関係が、人間の発達に与える影響を、プラス面と、マイナス面から<br />
研究する。<br />
これは、Ａ．スミスと、Ｋ．マルクス、Ｗ．ボウモルらから学んだ。<br />
?経済契約が原因でつくり出だされたマイナス面＝「人間発達<br />
への障害」、例えば、環境破壊、貧困、格差、人口問題など、を、<br />
克服するノウハウやアイディアを考える。その際に、市場経済の<br />
プラス面＝市場経済がもたらした自由、平等、博愛、自由財産の<br />
自由、科学・芸術や技術・技能などの学習・技の修得による人間<br />
自立の基礎の形成、などを活かして、克服の手がかりとする。<br />
これは日本の障害者教育学者、田中昌人先生から学んだ。<br />
?学習と修得に過程に特に注目して、この成果を「人間学」に<br />
フィードバックする。<br />
つまり、「創造」と「享受」の人間関係が、学習によって、どの<br />
ような変化や発展を見せるのかを研究する。<br />
これは、Ｎ．ウイーナー、Ｋ．Ｅ．ボールディングらから学んだ。<br />
<br />
さて、このような考え方から出発して、どのような経済学革命が<br />
もたらされたのか。<br />
私なりに総括してみよう。</span>
]]></content:encoded>
    <dc:subject></dc:subject>
    <dc:date>2009-06-27T14:47:39+09:00</dc:date>
    <dc:creator>ikegami</dc:creator>
    <dc:rights>ikegami</dc:rights>
  </item>

  <item rdf:about="http://kotoba.ruskincollege.org/?eid=990250">
    <link>http://kotoba.ruskincollege.org/?eid=990250</link>
    <title>池上惇　│　私の教育人生　第25部　10　「良知協働体の真実」（6/26/'09）</title>
    <description>今日の話題　　2009年6月26日
池上　惇

━━第25部━まちづくりの基軸とは━━━━━━
私の教育人生　10　良知協働体の真実
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


矢崎勝彦（株式会社フェリシモ名誉会長）著　
『Ａ型とＷ型の物語―出版社の事例に学ぶ―』
ＡからＷの物語シリーズ１...</description>
<content:encoded><![CDATA[
<span style="font-size:medium;">今日の話題　　2009年6月26日<br />
池上　惇<br />
<br />
━━第25部━まちづくりの基軸とは━━━━━━<br />
私の教育人生　10　良知協働体の真実<br />
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br />
<br />
<br />
矢崎勝彦（株式会社フェリシモ名誉会長）著　<br />
『Ａ型とＷ型の物語―出版社の事例に学ぶ―』<br />
ＡからＷの物語シリーズ１（2009年５月吉日）12ページ＋図<br />
＝世代生生的公共幸福共創文化/実心・実学・実践・実理の協働体。<br />
<br />
この書は、市販されている書物ではない。<br />
しかし、読書・学習・思索する人々にとっては、かけがえのない、<br />
一冊である。<br />
ここで、取り上げられている出版社は、一つは、日本の民間出版社<br />
であり、Ａ型と呼ばれている。いま、一つは、中国の出版社であり、<br />
Ｗ型と呼ばれている。<br />
<br />
Ａ型とは、「上」からの圧力を受けて生きている人間の閉鎖的で<br />
利己的な姿を象徴している。<br />
それに対してＷ型は「下」からの‘共に生きる力’を基礎にして、<br />
自由に、開かれた世界へと羽ばたく人間を象徴している。<br />
<br />
Ａ型の出版社は、価値のある出版物を、人々のために活用し、<br />
知を共有することによって人々が育ちあうと言う視点を忘れ、<br />
金儲けの道具にしてしまっていた。これでは、人々の共感を得る<br />
ことは出来ず、書物は普及せず、経済的にも成り立たなくなる。<br />
これに対して、もう一つの出版社は、政府系であるにもかかわらず、<br />
金儲け主義の孤立した出版社への途をとらず、「開かれた姿勢で<br />
社会の人々の人生に生き甲斐を提供する」ことを目標とする。<br />
<br />
この方向性が意味するのは、人々が知識を単に理性で受け止める<br />
だけでなくて、その知に触れて、人々が友愛に目覚め、友、親、<br />
師を始め、人々との生のふれあいの中で、育てられてきた自分の<br />
体験を思い起こすことである。<br />
それは、自然や他人への感謝や恩を感じて他人と共に生きる良知を<br />
持った人間となることであろう。<br />
<br />
かれらは、最早、知識に囚われずに、人生を反省し、新たな生き方<br />
を探求する。<br />
社員がこの理念を共有し、さらに、この目標に叶う出版物を編集し、<br />
あるいは、翻訳する集団＝コアを基軸とし、このコアが、良知協働体<br />
となって、「良知への道」を出版物とし、インターネットを活用し<br />
ながら、「企業」「学校」「政府」「基金会」「出版社」「メディア<br />
（テレビなど）」をネットワーク化する。このネットワークによって、<br />
各組織は、組織のカベを越えて「良知」を受け入れ、「良知の絆」<br />
と言うべきものが各組織の共通の繋がりを創り出す。<br />
出版物は私的な財から、公共財に変わる。<br />
<br />
とりわけ、この過程で、良知への道が次世代に伝達、継承され、<br />
将来の世代の目で、現代の人々の生き方を構想する人々が増加<br />
するであろう。<br />
経営者は、これらのネットワークの「繋ぎ役」となって人々の<br />
人間発達をサポートする。<br />
そして、社員を自然と人間が共生する社会における学習人として<br />
永続的に発達させる。<br />
<br />
＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊<br />
<br />
ここに描き出された中国出版経営者のモデルは、現代企業経営の<br />
構想力を先駆的に示したものとして高く評価できるであろう。<br />
それは、「良知協働体」という言葉に象徴されているように、<br />
コアとなる「良知」を理解し、理性の世界を超える信頼関係、<br />
あるいは、生きる実感に基づいて思索する人々を敬愛する世界の<br />
誕生である。コアと関係組織のネットワーク構築が進む。<br />
<br />
ここでは、「経営」という組織と一体となった概念、組織の分析や<br />
機能と言った「理性の言葉」も、乗り越えられている。<br />
そこには、組織のカベを越えた人間関係の絆があり、それらを<br />
共通の基礎として、それぞれの組織に個性や固有のものが伝統と<br />
して継承され、創造的な成果が生み出されてゆく。<br />
固有性を活かす創造の営みは、封建的な支配関係から自由であり、<br />
固い理性や既成概念の枠からも自由なアイディアを特徴とし、<br />
そのアイディアは、情報社会のソフトと、ハードの分離の下で、<br />
ハードを動かす「構想力」として、ある種の設計図を生み出して<br />
ゆく。　<br />
<br />
これは永続的なイノベーションの過程を生み出す。<br />
そして、この設計図によって作り出されたものは、私的財であった<br />
ものが、良知を担う公共財となる。</span>
]]></content:encoded>
    <dc:subject></dc:subject>
    <dc:date>2009-06-26T15:48:17+09:00</dc:date>
    <dc:creator>ikegami</dc:creator>
    <dc:rights>ikegami</dc:rights>
  </item>

  <item rdf:about="http://kotoba.ruskincollege.org/?eid=989552">
    <link>http://kotoba.ruskincollege.org/?eid=989552</link>
    <title>池上惇　│　私の教育人生　第25部　9　「私設図書館の清冽」（6/24/'09）</title>
    <description>今日の話題　　2009年6月24日
池上　惇

━━第25部━まちづくりの基軸とは━━━━━━
私の教育人生　9　私設図書館の清冽
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


京都の銀閣寺、疎水と白川どおりの接点に位置する交差点、
南西のバスストップ近くに『私設図書館』がある。
入り口...</description>
<content:encoded><![CDATA[
<span style="font-size:medium;">今日の話題　　2009年6月24日<br />
池上　惇<br />
<br />
━━第25部━まちづくりの基軸とは━━━━━━<br />
私の教育人生　9　私設図書館の清冽<br />
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br />
<br />
<br />
京都の銀閣寺、疎水と白川どおりの接点に位置する交差点、<br />
南西のバスストップ近くに『私設図書館』がある。<br />
入り口の傍に「施設図書館―ご案内―」と題するＢ５版の<br />
入門文がある。<br />
<br />
「図書館は本来　公に設けて　<br />
その所蔵する万巻の書物を広く一般の閲に供し　<br />
また同時に読書・勉学・思索する場を提供するものであります　<br />
しかし現在その任が充分にはたされているとは言い難く　<br />
前者もさることながら　後者の目的においてその感を強くします<br />
ここに当館を設ける所以があります<br />
施設ゆえに設備も充分でなくまた有償であるのを遺憾としますが<br />
開館時間の深夜に及ぶ点において　<br />
交通至便の街角に位置する点において<br />
また読書・勉学・思索する人を深く敬愛する点において<br />
欠点を補うに足ると思います。<br />
願わくはこの旨にご賛同の上<br />
せいぜいご利用下さいますように<br />
館主<br />
開館　昭和四十八年五月七日」<br />
　<br />
ここは、私のかつての勤務地であった京都大学から東へ歩いて<br />
10分程度であろうか。<br />
銀閣寺も、ここから、ほぼ、これくらいの時間をかければ到達する。<br />
この辺りは、東の空に京の古戦場に散った人々を弔う大文字を臨み、<br />
西を歩めば桜並木と文明開化の疎水の緑。疎水に沿って南に歩めば<br />
西田幾多郎の「哲学の道」に通じている。<br />
京都を代表する庭園のひとつ、白沙村荘も至近距離だ。<br />
ここには、如意が嶽（大文字山）を借景にした回遊式の庭があり、<br />
中国、ペルシャ、ギリシャ、ローマなど、世界各地で、橋本関雪が<br />
収集した美術品がある。<br />
食文化は「そば」「京料理」が伝統的。<br />
みやげ物は京の工芸品である。<br />
最近の洋菓子店も、見るべきものが多い。<br />
ここは、如意が嶽をシンボルとした、学術と芸術、生活文化の<br />
粋を集める、「心の糧を創りだし享受する人々の空間」が広がる。<br />
現代的なアメニティ空間と言えるかもしれない。<br />
<br />
この空間に、私設図書館館主の存在は、誠に相応しいと言えよう。<br />
とりわけ、上の文章の中で、「読書・勉学・思索する人を深く敬愛<br />
する点において」という一文は深く心に刻み込まれる。<br />
私も教育者であったから、非常に多くの学生に出会う機会に<br />
恵まれた。<br />
そのなかで、私が最も心がけてきたのは、この一文に示される<br />
精神である。<br />
この精神こそ、学生と教師を結ぶ心の絆である。<br />
この絆によって、貴重な対話の機会が生まれ、互いに、相手の<br />
尊厳を認識し、対等で、公平で、創造的なアイディアを尊重し<br />
あう気風が生まれる。<br />
<br />
もちろん、人生は、甘くないから、相手の尊厳を相互に尊重しあう<br />
のは難しい。<br />
今の社会は人に「差」をつけてこそ生き残れる。<br />
そこで、「尊厳」にこだわっていると生きてゆけないような厳しさが<br />
あるからである。<br />
教師のほうからの難点は、長い付き合いになると、ついつい、<br />
かつて若かった相手に甘えてしまって「尊厳」を横に置き、堂々<br />
たる各位に無料の奉仕やご寄付をお願いしてしまうことが多い。<br />
これは、自戒しながらも跡を絶たない。<br />
元学生、大学院生のほうからは、これも、厳しいことになる。<br />
例えば、一人前になられると、いままでの相手のアイディアへの<br />
敬意はどこかに行ってしまって、自分は‘お前の世話になった<br />
ことはないぞ’という顔をされることもある。<br />
さらには、相手が高齢になり社会的な立場が悪くなると自分が<br />
今では上であると平気で断言されることも少なくない。<br />
これは堪える。<br />
また、かつての学生から「ご指導、ご高配、ご苦労様でした。<br />
的確なご指摘でしたね」などと評価されて、びっくりさせられる<br />
ことなど、度々である。<br />
ご苦労様といわれると、さすがに、怯んでしまう。<br />
やはり、互いに尊敬しあう関係では「感謝」を意味する言葉が、<br />
論文の相互の論評などでは、相応しいように思う。<br />
しかし、考えてみれば、そのような「評価」を意味する表現が<br />
出てくるのも分らないではない。<br />
一人前になった人々は連日学生や大学院学生の前に立ち、必死で、<br />
講義し論文を指導し評価されているのだろう。<br />
感謝よりも、評価が先にたって当然なのかもしれない。<br />
その姿勢が、どこかに反映していたとしても、これも浮世の<br />
付き合いとして受け入れるべきなのであろう。<br />
同時に、各位にお願いしたいのは、学生・大学院生指導に<br />
あたっても、どうか、「読書・勉学・思索する人を深く敬愛する<br />
点において」教師と学生は同一の地平に立っているということ<br />
を想い起こし、評価よりも敬愛や感謝を先行させていただき<br />
たいということである。<br />
そうでなければ、相互の信頼関係は育たず、この土壌がないと、<br />
よいアイディアは決して生まれてはこないように思うからだ。<br />
当然の結果として「都市の風格」も決して高まることはない。</span>
]]></content:encoded>
    <dc:subject></dc:subject>
    <dc:date>2009-06-24T15:49:59+09:00</dc:date>
    <dc:creator>ikegami</dc:creator>
    <dc:rights>ikegami</dc:rights>
  </item>

  <item rdf:about="http://kotoba.ruskincollege.org/?eid=989136">
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    <title>池上惇　│　私の教育人生　第25部　8　「いきがいと都市の格をつくる」（6/23/'09）</title>
    <description>今日の話題　　2009年6月23日
池上　惇

━━第25部━まちづくりの基軸とは━━━━━━
私の教育人生　8　いきがいと都市の格をつくる
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


私が師事する先生から、榛村純一元掛川市長の
『中日両国で尊徳を見直す』大日本報徳社、2007年6月
を拝受...</description>
<content:encoded><![CDATA[
<span style="font-size:medium;">今日の話題　　2009年6月23日<br />
池上　惇<br />
<br />
━━第25部━まちづくりの基軸とは━━━━━━<br />
私の教育人生　8　いきがいと都市の格をつくる<br />
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br />
<br />
<br />
私が師事する先生から、榛村純一元掛川市長の<br />
『中日両国で尊徳を見直す』大日本報徳社、2007年6月<br />
を拝受した。<br />
素晴らしい内容であった。<br />
<br />
何よりも「村格」「都市格」を生涯学習によって高めようとされる<br />
姿勢に強く共感した。<br />
私も、京都の「都市格」を高めるには、市民が、京都のまちを<br />
良くする‘営み’に関心を持ち、参加し、構想するための<br />
「生涯学習＝研究力量を育てる教育」が必要である、という<br />
意見である。<br />
<br />
街中に、無数の「塾」をひらき、各地固有の文化に関わる調査をし、<br />
資料を集め、文献を整え、情報を発信し、創造的な著作物によって、<br />
「構想」を語る。<br />
全国から塾を訪れる人々が徒歩と、自転車でまちを回り、最高の<br />
エコである太陽電池を使用した、環境に優しい(動力つき)自転車<br />
厳しい京の坂道を後押ししてくれる。<br />
などということを構想している。<br />
<br />
また、最近は、行基は、土木・福祉技術者の集団をひきつれて<br />
全国を回り、各地に、学習や休養の拠点を設けたことや、空海<br />
の綜芸種智院の教育が、思想から生活技術まで、広く網羅し、<br />
‘人格と技術’を同時に高める生涯学習論に敬意を払ってきた。<br />
このような意味で、この書には、非常に共感した。<br />
<br />
尊徳には、「森林など自然は‘総有’」という考え方がある。<br />
ひとは、生活や仕事において、天地人から貴重なものを信託<br />
されていると言う思想である。<br />
ここでは、「自然・共同体からの信託に感謝し森を歩き共生を楽しみ<br />
つつ報恩として森を育て次世代に伝える」ことが最高の生き方なのだ。<br />
尊徳思想は問題の核心をついている。<br />
かかる思想が生み出す景観は美しい。<br />
そして、生死の間をさまようような厳しい状況に耐え、天地人の<br />
恩を忘れず敬虔に生きる人格（勤勉で合理的で慎重な思考を伴う<br />
人生）こそ、技や創造性を生む。<br />
ここに、静かな賑わいをもつ村格、都市格が生まれるのだろう。<br />
<br />
景観を創る‘営み’と、人生を創る‘営み’とは、「文化による<br />
‘まちづくり’」の２大基盤のようである。<br />
両者とも、個性的な「構想力」の産物であろう。<br />
そして、この構想力が、<br />
?「自然や社会からの信託に応えて自分の周囲の環境を創造的<br />
に創りかえる」ことを通じて、<br />
?「自分自身の文化資本を高める」「他人への責任を果たし、<br />
ともに、生きる力量を身につける」ことになるのであろう。<br />
これが、都市や村の「心の拠り所＝シンボル（神殿、教会や塔）」<br />
を生み、訪問者をひきつけ、その地を、‘開かれた文化を持つ<br />
持続的な発展’へと導く。<br />
<br />
現代の『創造都市』も、これと同じで、‘景観’という言葉を<br />
「都市環境」に置き換え、‘人生’と言う言葉を、「家庭や企業、<br />
公共活動で協働する人々」に置き換えると、これからの創造<br />
都市の姿が、僅かながら、見えてくるように感じられる。</span>
]]></content:encoded>
    <dc:subject></dc:subject>
    <dc:date>2009-06-23T14:23:45+09:00</dc:date>
    <dc:creator>ikegami</dc:creator>
    <dc:rights>ikegami</dc:rights>
  </item>

  <item rdf:about="http://kotoba.ruskincollege.org/?eid=988087">
    <link>http://kotoba.ruskincollege.org/?eid=988087</link>
    <title>池上惇　│　私の教育人生　第25部　7　「自転車と塾のまちづくり」（6/20/'09）</title>
    <description>今日の話題　　2009年6月20日
池上　惇

━━第25部━まちづくりの基軸とは━━━━━━
私の教育人生　7　自転車と塾のまちづくり
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


知的カフェをはじめたところ、近畿の大手道路会社から社会人
大学院生が参加された。

研究テーマは、「近畿...</description>
<content:encoded><![CDATA[
<span style="font-size:medium;">今日の話題　　2009年6月20日<br />
池上　惇<br />
<br />
━━第25部━まちづくりの基軸とは━━━━━━<br />
私の教育人生　7　自転車と塾のまちづくり<br />
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br />
<br />
<br />
知的カフェをはじめたところ、近畿の大手道路会社から社会人<br />
大学院生が参加された。<br />
<br />
研究テーマは、「近畿地方まちづくり情報ネットワーク構築による<br />
アメニティの向上と地域振興政策」。<br />
各地の歴史的文化財を中心に清少納言や光源氏の人物像を<br />
紙媒体に登場させ、ストーリーと関連付けた紹介と、イベント、<br />
食文化情報などを掲載している。<br />
京都関連では、道路や駐車場の位置とともに、伏見の酒蔵や、<br />
山科の隋心院などが登場する。<br />
各文化財は相互に関連付けられて、ネットワークをたどれば、<br />
多様なストーリーと関連付けて、位置関係や歴史との対話が<br />
可能である。<br />
朱印と同様に、スタンプ制になっていて、景品や地元の銘菓が<br />
もらえる。<br />
<br />
とりわけ、注目すべきは、道路と鉄道の協調を可能にする<br />
「駅とインターチェンジを結ぶ自転車の貸し出し、乗り捨て<br />
可能な観光ネットワーク」である。<br />
従来、鉄道と道路は犬猿の仲である。しかし、もしも、鉄道と<br />
道路を自転車ネットワークで結ぶことができれば、両者は互い<br />
に補完しあって、乗客や利用者の相乗的な増加を期待できる。<br />
おりしも、「エコロジー最優先の時代」である。自転車で観光拠点を<br />
回りながら、地球温暖化対策を進め、エコカーや、省エネ型鉄道の<br />
普及に努める。<br />
これは素晴らしい構想である。<br />
これによって、自転車貸出事業が発展し、雇用や所得の増加に<br />
つながれば、地域の活性化につながる。<br />
<br />
また、自転車の普及は、町中の通過道路の必要性を低下させ、<br />
路地や細道の多い日本の都市に最適な交通手段を提供する。<br />
私は、この自転車ネットワークが、文化財や観光拠点をつなぐ<br />
だけでなくて、いま、私たちが構想している「地域に根差した<br />
学習拠点＝塾」とも接続されることを期待している。　<br />
<br />
現在でも、地域に、その地の文化的な伝統や歴史を研究され、<br />
関係資料を蓄積され、修学旅行生や訪問客に、その地ゆかりの<br />
人物史を語られる知識人がおられる。<br />
大都市に増加している空き家を活用して、各地に「塾」を開き、<br />
固有の歴史や文化を訪問者や次世代、社会人などの交流と学習の<br />
場を設ける。<br />
学習人が自転車に乗って、塾を訪れて、歴史や文化を学習し、<br />
自分を高めながら、地域で、仕事を起こし、地域を創り、人を<br />
育て、文化を理解するために、交流し、学習する。<br />
<br />
現代においては、極小化技術、情報技術が進歩し、その結果、<br />
ソフト＝ノウハウと、ハード＝物質や機械の構造が分離し、多様な<br />
「アイディアや情報」を持ち寄って、検討しながら創造的成果を<br />
うみだすことが出来るようになった。<br />
塾を拠点に地域固有の文化を学習しながら、情報通信技術を活用<br />
して、遠方の経験とを比較し、一人一人が自分の生き方や、<br />
まちづくりを考える時代。<br />
この雰囲気がもたらす「静かな賑わい」こそ、都市や地域の「格」を<br />
高めて、永続的な発展をもたらす鍵である。自転車と塾を新たな<br />
文化によるまちづくりの手がかりとしてみたい。</span>
]]></content:encoded>
    <dc:subject></dc:subject>
    <dc:date>2009-06-20T19:25:25+09:00</dc:date>
    <dc:creator>ikegami</dc:creator>
    <dc:rights>ikegami</dc:rights>
  </item>

  <item rdf:about="http://kotoba.ruskincollege.org/?eid=987679">
    <link>http://kotoba.ruskincollege.org/?eid=987679</link>
    <title>池上惇　│　私の教育人生　第25部　6　「ホスピタリティの凄まじさ」（6/19/'09）</title>
    <description>今日の話題　　2009年6月19日
池上　惇

━━第25部━まちづくりの基軸とは━━━━━━
私の教育人生　6　ホスピタリティの凄まじさ
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


ここのところ、景観と原発というショッキングともいえる対比に、
研究関心を向けてきた。
きっかけは、小林...</description>
<content:encoded><![CDATA[
<span style="font-size:medium;">今日の話題　　2009年6月19日<br />
池上　惇<br />
<br />
━━第25部━まちづくりの基軸とは━━━━━━<br />
私の教育人生　6　ホスピタリティの凄まじさ<br />
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br />
<br />
<br />
ここのところ、景観と原発というショッキングともいえる対比に、<br />
研究関心を向けてきた。<br />
きっかけは、小林俊和先生がフォルフォード卿の労作を見出されて<br />
独自のアメニティ概念を検討され、日本の現実とも対比されながら<br />
独創的な研究を続けられたことにある。　<br />
<br />
小林先生は、長らく福井で研究生活を送られていたので、その間に<br />
地域の実態を詳細に観察されていたのであろう。そして、<br />
危険なものと、隣り合わせに、あたたかな人情と素晴らしい景観が<br />
展開する地域を目前にして、この地域の将来を真剣に考えられた<br />
に違いない。<br />
<br />
事故死と隣り合わせである生活は、日本中、いたるところにある。<br />
美しい大都市の生活でも、いつ、大きな災害の犠牲になるかも知れぬ。<br />
通り魔殺人という事件も最近ではどこでも起こりうることになった。<br />
恐ろしいことである。<br />
ある意味では、家にいて、「敵」がどこから侵入してきて氷のような<br />
刃を押し当てられても不思議ではないのだ。<br />
<br />
最近、日本のホスピタリティ研究の第一人者、山本哲士先生の<br />
『ホスピタリティの正体』（加藤鉱共著、ビジネス社、2009年）<br />
を拝読する機会を得た。<br />
‘「敵の歓待」こそがHospitality本来の意味である’。（２ページ）<br />
なにか、ぞっとする状況であるが、考えてみれば、あたたかな<br />
人間関係に憧れて旅に出る人々への警告かもしれない。<br />
「実に、西欧的な関係性に基づく言葉」とも指摘されている。<br />
この異常な緊張関係に耐えて、自分自身に対し、この状況に適応し、<br />
対応する「自己技術」を磨け（３ページ）。<br />
これが読者へのメッセージである。<br />
ある意味では、このメッセージは、次のようにも読める。<br />
この自己技術を知的資産化（文化資本化）して創造的なホテル事業<br />
を展開せよ。<br />
技や創造性は、死と愛の間の往復から生まれる。<br />
これこそ、創造活動の源泉だ。<br />
など。<br />
<br />
さて、アメニティ論にもどろう。<br />
前回、かけがえのない景観の設定と、旅人と農夫を描く画家、<br />
などの心の絆について論じた。<br />
ここでは、「心を通わせる営み」ともいうべきものがある、と、<br />
考えており、その営みは、芸術家の創造活動によって媒介されていた。<br />
つまり、「芸術家の構想力」があってこそ、景観、農夫、旅人と<br />
いう「場」の設定が可能となる。<br />
この場が多様な要素を結合して、価値の共存を生みだし、アメニティ<br />
を創り出す。<br />
この場で、農夫が旅人に「ホスピタリティ」を提供すると仮定<br />
しよう。<br />
農夫と旅人は偶然の、行きずりの関係にある。<br />
旅人が何物かは不明で、突然、襲ってくる危険もある。<br />
しかし、農夫は従来の経験から、旅に出る人々の孤独で、しかも、<br />
新たな世界を求める積極性を理解している。<br />
「いいお天気ですね」<br />
「ありがたいことです」<br />
「今年の米は美味しくできますよ」<br />
「よかったですね」<br />
「是非、秋にはいらしてください」<br />
「ありがとうございます」<br />
この会話は「愛」を生む。<br />
そして、この会話を、画家は、絵画表現に転換し、それによって<br />
背後の景観を引き立たせる。<br />
画家の参加・創造は、農夫の自己技術を描き出すことによって、<br />
この地のアメニティ、ホスピタリティに安定性と継続性を与える。<br />
組織の経営には、自己技術と共に「芸術家の目」も必要なのだろう。<br />
芸術家の目がオフィスや工場の設えを演出し、芸術的空間を<br />
つくりだすとき、あるいは、建築物の品格を持って、まちなみ<br />
を創造したとき、ホスピタリティとアメニティの場が出現する。<br />
これによって、経営は開かれたものとなるかもしれない。</span>
]]></content:encoded>
    <dc:subject></dc:subject>
    <dc:date>2009-06-19T16:22:42+09:00</dc:date>
    <dc:creator>ikegami</dc:creator>
    <dc:rights>ikegami</dc:rights>
  </item>

  <item rdf:about="http://kotoba.ruskincollege.org/?eid=987182">
    <link>http://kotoba.ruskincollege.org/?eid=987182</link>
    <title>池上惇　│　私の教育人生　第25部　5　「絆を創り出す媒体」（6/18/'09）</title>
    <description>今日の話題　　2009年5月18日
池上　惇

━━第25部━まちづくりの基軸とは━━━━━━
私の教育人生　5　絆を創り出す媒体
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


都市・地域の景観や、景観をめぐる人間の営みを研究していると、
ときどき、考え込むことがある。
それは、ひとつの...</description>
<content:encoded><![CDATA[
<span style="font-size:medium;">今日の話題　　2009年5月18日<br />
池上　惇<br />
<br />
━━第25部━まちづくりの基軸とは━━━━━━<br />
私の教育人生　5　絆を創り出す媒体<br />
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br />
<br />
<br />
都市・地域の景観や、景観をめぐる人間の営みを研究していると、<br />
ときどき、考え込むことがある。<br />
それは、ひとつの問いかけである。<br />
「景観の中の‘人々’」と、「日常の多様な‘営みを担う人々’」<br />
との関係は、どのようなものなのか。<br />
<br />
著名な日本画家の構図には、街道を歩く旅人と、近くの田んぼで、<br />
田植えをする人々のものがある。<br />
これは、ひとつの景観として描き出されている。<br />
この景観のなかの旅人と農民は、それぞれに、人生の個性的な<br />
ストーリーを持った人格である。<br />
画家がそれを一瞬の、通りすがりの情景として記録し、芸術的に<br />
再生した。<br />
景観に登場する人間＝旅人は、いわば、「風の人」だ。<br />
同時に、その人も、故郷があれば、そこでの生活があった。<br />
旅の先には、伊勢神宮があるのだろうか。<br />
それとも、商談が待っているのか。<br />
<br />
田植えをする人は、いわば、「地の人」である。その大地に根ざして、<br />
稲を育て、子供を育て、共に、仕事をし、家族を養う。<br />
その景観の美しさ、かけがえのなさに惹かれた芸術家＝画家は、<br />
両者の存在と人生を人々に連想させる「媒体」として、一幅の<br />
絵画を描く。<br />
<br />
ここでは、旅人、農民、芸術家の三人が、美しい景観という「場」に<br />
導かれて出会いを果たした。<br />
画家の絵は、この地域の景観のシンボルとなって、多くの人々に、<br />
これら三人の「心の絆」を伝える。<br />
そして、この絵を、この景観の近くの「郷土画家美術館」で鑑賞し、<br />
創造性を享受するすべての人々が、共通の絆で結ばれる。<br />
また、この美術館の構想や企画、建築等に関わったしべ手の人々が、<br />
さまざまなかたちで、この絵と関係性を持つ。<br />
この絆は人々を結び付けて、画家を囲む後援者の会ができることも<br />
あれば、この地の魅力によって、人々を誘い、訪問や観光への<br />
営みを生み出す。<br />
<br />
景観に登場する人物と、日常の営みを続ける人物、それを、一瞬の<br />
うちにきりとって、見事に表現する人物、これらの営みを一枚の<br />
芸術作品が象徴的に示してくれる。<br />
ここでは、芸術作品が皆を結合する「媒体」となる。<br />
<br />
この媒体が示すネットワークが、関係者の新たな行動を多様な<br />
形で生み出してゆく。<br />
そして、これらの交流が、また、新たな景観を人々に発見させ、<br />
新たな作品を生むに違いない。<br />
さらに、これらの動きを「商い」として、観光事業や画商の仕事に<br />
する人々が現れると、市場や貨幣経済が、新たな人間関係の広がりを<br />
創りだし、その一方で、人間関係が見えなくなって、「事業高」<br />
「年間の売り上げ」「もうかりますか」などの俗っぽい評価基準が<br />
現れる。<br />
この基準は、景観や営みのよさ、アメニティとは、必ずしも両立<br />
しない。<br />
<br />
儲けることが自己目的になれば、景観や生活の営みは犠牲にされる。<br />
「所得を売るためには、仕方がない」との声も出てこよう。<br />
だが、景観が悪化し、人間関係の‘あたたかさ’が消え去る日は、<br />
都市や地域のアメニティが悪化して人流が途絶え、産業や経済の<br />
新たな芽が大きな障害に直面する日でもある。<br />
アメニティを積極的に創り出す活動によって、金銭的価値の独走を<br />
制御すること、景観条例をはじめとする、新たな動きの始まりである。</span>
]]></content:encoded>
    <dc:subject></dc:subject>
    <dc:date>2009-06-18T13:12:03+09:00</dc:date>
    <dc:creator>ikegami</dc:creator>
    <dc:rights>ikegami</dc:rights>
  </item>

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    <link>http://kotoba.ruskincollege.org/?eid=986940</link>
    <title>池上惇　│　私の教育人生　第25部　4　「人格アメニティの形成」（6/17/'09）</title>
    <description>今日の話題　　2009年6月17日
池上　惇

━━第25部━まちづくりの基軸とは━━━━━━
私の教育人生　4　人格アメニティの形成
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

現代まちづくりを研究していると、京都の自然やまちなみの
雰囲気のなかに、ふと、「美と知を楽しむ心」と書かれた...</description>
<content:encoded><![CDATA[
<span style="font-size:medium;">今日の話題　　2009年6月17日<br />
池上　惇<br />
<br />
━━第25部━まちづくりの基軸とは━━━━━━<br />
私の教育人生　4　人格アメニティの形成<br />
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br />
<br />
現代まちづくりを研究していると、京都の自然やまちなみの<br />
雰囲気のなかに、ふと、「美と知を楽しむ心」と書かれた額を<br />
想いだす。<br />
この書は、西島安則先生が、御定年の折に揮毫されて京大会館の<br />
入り口、右手に掲げられていた。<br />
また、西島先生が京都学について書かれた論文には、幕末における<br />
京都の民間人の塾が市内の多くの場所にあり、新しい時代を担う<br />
思想が生まれ、次世代に伝えられていった様子が「知を楽しむかの<br />
ように」語られている。<br />
<br />
このようにみてくると、学問を熱く語り、多くの若手、気鋭の人材<br />
が、高いモラルをもって生活していることが、京都のアメニティを<br />
高めていたことは明らかである。<br />
<br />
前回にアメニティの内容として「あたたかな人間関係」の大事さを<br />
説明したが、この「あたたかさ」を、さらに、多くの人々のもつ<br />
知的雰囲気やモラルとともに考えることが出来る。<br />
これらは、広い意味では、「人間の関係性」であり、心の絆を共通の<br />
基礎としながら、感性や知性が、まちの雰囲気を創りだし、京都の<br />
魅力となっている。<br />
その意味では、アメニティの貴重な構成要素であろう。<br />
<br />
京大を定年になってから、はや、十数年。しかし、図書館に<br />
いって感じるのは、学生たちのひたむきな学習の態度や、高い<br />
モラルを感じさせる雰囲気である。<br />
あるいは、構内を歩いている学生諸君の雰囲気は、よく言われ<br />
るように、幼さが残ってはいるが、それでも、多くの表情には、<br />
おそれずに、学術や世間の荒波に立ち向かおうとする勇気や<br />
気概が感じられる。<br />
貴重なアメニティであろう。<br />
ひたむきな表情は、ときとして、輝くような美しさを見せる。<br />
<br />
「美と知、徳を楽しむ」‘まちづくり’は、京都の「自然や文化<br />
と、教育、学習の出会い」を創り出す営みなのかもしれない。<br />
「アメニティは主要な二つのものからなる。<br />
それらは、景観と‘人間の営み’である。」<br />
と、前回に言及した。<br />
この‘営み’をより詳しく見てゆくと、「あたたかさ」から発して、<br />
「美、知、徳を楽しむ」にいたり、さらに、仕事や生活に関わる<br />
雰囲気にも、視野を広げることが出来る。<br />
仕事や生活の創り出す「人間の関係性」と、それらが創り出す<br />
雰囲気とは、どのようなものだろう。<br />
仕事と生活に関わる雰囲気で、都市が抱える最大の問題は失業や<br />
健康問題、ホームレスの存在である。<br />
京都でも、美しい四条大橋からの景観と橋の下のビニール家屋とは<br />
常にセットになっていて、この問題を直視しながら、放置せず、<br />
真剣に解決に向けて取り組む‘営み’が、新たな京の風景を生む。<br />
雑誌『issue』を手に仕事を起こそうとする動き、それらを支援する<br />
人々の流れ。<br />
生存と向き合った人間の真剣なまなざし。<br />
<br />
日本では、まだ、稀であるが、北欧では、昼時になると、職場から<br />
子供たちをひきつれた、働くお母さんが、まちの公園に繰り出す。<br />
夕刻になると、職場から地域から、オープンなカフェに、男女が<br />
集い、ビールやワイン、ミネラル・ウオーターを高く掲げて乾杯<br />
する。<br />
観光客が参加して交流が始まる。<br />
街路で、若い音楽家が演奏を始め、気に入れば、拍手と、歓声<br />
が飛ぶ。<br />
その一方で、都市の犯罪やテロも、厳しい現実を人々に突きつける。<br />
災害や気候の変動も激しい。これらに、耐えながら、しかし、<br />
閉塞せずに、支えあい、昂然と‘営み’を続ける。<br />
人々の顔には、いずれは、平和で、安全なまちにしてみせるぞ、<br />
と、書いてあるかのようだ。<br />
厳しさと歓びは裏腹であって、しかも、ひたむきで、美しく、<br />
知と徳を伴っている。<br />
しかし、ときには、猥雑で、とりとめがない。<br />
これらの営みがもたらす多様な雰囲気は、「人格アメニティ」と、<br />
呼べるだろう。<br />
これを、西欧の都市は、「天にいたる教会の高い塔」へと凝縮し、<br />
シンボル化する。<br />
あるいは、「ウイーンの森」のような公園や緑の一帯が人の流れ<br />
と雰囲気をまとめつつ、不完全ながら、ある方向性を示す。<br />
京都は、周囲の山々の緑の中に、大きな文字を描き出して、文化財<br />
と白々しい建築物の渾然とした雰囲気をまとめようとする。<br />
このようなシンボルが欠落した都市や地域もある。<br />
アメニティの全容は少しずつ姿を表しつつあるようだ。<br />
<br />
＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊<br />
<br />
お知らせ<br />
 <br />
京都や神戸などの事例を引きながら、６月２８日（日）午後２時、<br />
できれば、環境デザインの専門家をお招きして、総合的なシンポジ<br />
ウムを試みたい。資料代を1000円くらいいただいて、かなり<br />
突っ込んだ内容と、お持ち帰り資料を整えよう。<br />
事前予約制とするので、参加ご希望の各位は、このブログに、<br />
ご感想、ともども、６月25日までにご予約ください。<br />
人数に応じてキャンパスプラザ京都内に部屋を確保します。</span>
]]></content:encoded>
    <dc:subject></dc:subject>
    <dc:date>2009-06-17T20:09:19+09:00</dc:date>
    <dc:creator>ikegami</dc:creator>
    <dc:rights>ikegami</dc:rights>
  </item>

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    <link>http://kotoba.ruskincollege.org/?eid=986527</link>
    <title>池上惇　│　私の教育人生　第25部　3　「アメニティの要素」（6/16/'09）</title>
    <description>今日の話題　　2009年6月16日
池上　惇

━━第25部━まちづくりの基軸とは━━━━━━
私の教育人生　3　アメニティの要素
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


この日曜日は知的カフェのアメニティ論研究会の観あり。
私と小林先生の二人の常連に、敦賀市、阪神高速道路会社、
...</description>
<content:encoded><![CDATA[
<span style="font-size:medium;">今日の話題　　2009年6月16日<br />
池上　惇<br />
<br />
━━第25部━まちづくりの基軸とは━━━━━━<br />
私の教育人生　3　アメニティの要素<br />
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br />
<br />
<br />
この日曜日は知的カフェのアメニティ論研究会の観あり。<br />
私と小林先生の二人の常連に、敦賀市、阪神高速道路会社、<br />
それに、立命館大学の新顔が登場され、大いに盛り上がった。<br />
そのなかでも、一番議論が集中したのは、「アメニティを構成する<br />
要素は何か」に関わるものであった。<br />
結論は、アメニティは主要な二つのものからなる。<br />
それらは、景観と‘人間の営み’である。<br />
まず、景観などのアメニティは、基本的には、五つの要素から<br />
なっている。<br />
（１）天空、太陽光、原始林、源流、など、自然が長い時間の<br />
中でつくりだした、生命を育む自然環境<br />
（２）河川、森林、平野、田園など、人間が保全し、適切に<br />
活用して維持されている自然環境、<br />
（３）寺院や神社、教会、保健所、病院、福祉施設、学校、<br />
音楽ホール、劇場、研究所、など、精神生活、健康、教育文化、<br />
学術のシンボルがつくりだす雰囲気、<br />
（４）住居や宿泊施設、商業施設、オフィスや工場、など、<br />
生活と仕事を支える建築物のもつ雰囲気<br />
（５）電気通信施設、道路、鉄道、橋、発電所、など、通信、<br />
交通、水やエネルギーに関わる人工的な構築物のもつ雰囲気<br />
である。<br />
<br />
これらのうちで、特に議論が集中したのは、両極に位置する、<br />
（１）と（５）の関係であった。<br />
アメニティ概念が発生したイギリスでは、自然公園の中に原子力<br />
発電所が建設されるという凄まじい状況に直面した。<br />
不細工な原子炉を美しい伝統的な自然のなかに露出するわけに<br />
はいかない。<br />
日本なら露出する例が多いが、イギリス人は露出ではなくて、<br />
概観はシャトーとし、自然と擬似的な歴史的建築物が調和する<br />
方向を目指した。<br />
一種の環境デザインを創りだし、市民が合意して、危険と隣り<br />
合わせの原子力発電所を、あたかも、歴史的建築物であるかの<br />
ように構築したのである。<br />
<br />
このアメニティは、ニセモノだ、ともいえよう。<br />
しかし、人類が地球環境問題に直面して、分散的な自然エネルギー<br />
によって生活するまでの過渡期に、反対運動にもかかわらず、<br />
この重厚長大型施設を受容せざるを得ないとすれば、敢えて、<br />
現代的なアメニティとして、創造的な環境デザインをつくりだす<br />
ことにならざるをえないのではないか。<br />
<br />
これは、危険で、悲しいことではあるが、その悲しさに耐えながら<br />
「文化による‘まちづくり’」を構想すること、これが、アメニティ<br />
をつくりだすのである。<br />
これは、議論していても、ときどき、声や身体が震えるような<br />
厳しい研究対象である。<br />
そして、アメニティの構成要素は、地域固有の美しい湖や、森林、<br />
河川、農村風景、学校、研究所、など、一連の「カタログ」とも<br />
いうべきものが眼前に広がる。<br />
それぞれには、固有の歴史があり、機能もあり、芸術性もある。<br />
ある意味で、一つ一つの要素に、ストーリーがあるのだ。<br />
しかも、このストーリーは、「未完の旅路」を歩んでいる。<br />
<br />
地球環境問題の中で、森林はどうなるのだろう。エネルギーが<br />
分散的な生産と消費の構造を持つようになれば、原発は不要に<br />
なる。<br />
そのとき、廃炉となった原発は、おそらく、産業遺産として<br />
観光資源となるかもしれない。<br />
そうなれば、シャトーの背後にあるものは、はじめて、安定した<br />
位置づけを獲得するのではないか。<br />
<br />
「ストーリーを踏まえたカタログ」のなかから、人々は、<br />
アメニティの総合評価にとって、必要なものを選択し、それら<br />
を結合して、その地に固有のシンボルとなる景観を創り出す。<br />
そのとき、シャトーのもつ雰囲気が、未来の産業遺産として、<br />
湖水地方の美しさと調和しえたならば、これは、魅力ある景観と<br />
なろう。<br />
そして、この景観をつくり出せるのは、そこに住む人々の日々<br />
の‘営み’であろう。<br />
<br />
アメニティは、一方では、景観が提供し、他方では、景観を創る<br />
主体の‘人間の営み’が創り出す。<br />
このような視点から見ると、モノとしての自然や建築物、構築物は、<br />
景観アメニティの基盤である。これらの「モノ」を、どのような<br />
人間が、どのような関係を持って「雰囲気」につなげるのか。<br />
この基盤を活かす直接的な営みは、これらをネットワークして、<br />
一望させてくれ、巡回、回遊させてくれるガイドなどの人的<br />
サービスであり、これは、アメニティの現出である。<br />
ホスピタリティでもあろう。<br />
<br />
さらに、この人的サービスが、「あたたかさ」を持つとすれば、<br />
そこには、景観と並んで、コミュニティのもつ人間関係の固有の<br />
「あたたかさ」、優しさ、なども「アメニティ」の重要な構成要素だ。<br />
これは、「関係性」のアメニティである。<br />
このアメニティを生み出したのは、その地の文化的伝統である。<br />
この伝統が生活や仕事の中に生きていてこそ、この要素は持続的に<br />
継承される。<br />
環境デザインと、新たな構築物や建築物を踏まえた仕事や生活を<br />
構想しよう。<br />
そのなかに、この‘あたたかさ’「アメニティ」を活かしてこそ、<br />
景観と‘営み’は調和して、高度なアメニティが生まれるのだ。<br />
また、この地の環境を守り、「文化による‘まちづくり’」を<br />
推進するコミュニティ・アクションも、この貴重な関係性を<br />
引き継いで、「あたたかく」魅力ある「アメニティ」を、この<br />
地につくり出すであろう。<br />
<br />
まとめてみると、<br />
?モノあるいは、自然と人工物、?モノを活かすサービス、<br />
?人間の関係性、?活動・行動、これらの総体が、「景観と人間の<br />
営み」からなるアメニティを創り出す。<br />
これはアメニティ論としては最先端かも。<br />
共同研究でとりくみ、この結論を活かしてみようということになった。<br />
<br />
次回は、京都や神戸などの事例を引きながら、６月２８日（日）<br />
午後２時、できれば、環境デザインの専門家をお招きして、<br />
総合的なシンポジアムを試みたい。<br />
資料代を1000円くらいいただいて、かなり突っ込んだ内容と、<br />
お持ち帰り資料を整えよう。<br />
事前予約制とするので、参加ご希望の各位は、このブログに、<br />
ご感想、ともども、6月25日までにご予約ください。<br />
人数に応じてキャンパスプラザ京都内に部屋を確保します。</span>
]]></content:encoded>
    <dc:subject></dc:subject>
    <dc:date>2009-06-16T17:00:33+09:00</dc:date>
    <dc:creator>ikegami</dc:creator>
    <dc:rights>ikegami</dc:rights>
  </item>

  <item rdf:about="http://kotoba.ruskincollege.org/?eid=985355">
    <link>http://kotoba.ruskincollege.org/?eid=985355</link>
    <title>池上惇　│　私の教育人生　第25部　2　「健康・幸福・アメニティ」（6/13/'09）</title>
    <description>今日の話題　　2009年6月13日
池上　惇

━━第25部━まちづくりの基軸とは━━━━━━
私の教育人生　2　健康・幸福・アメニティ
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


今日は、文化経済学会の大会が岐阜県の可児で開催される。
予定討論を仰せつかったので、貴重なペーパーを事前...</description>
<content:encoded><![CDATA[
<span style="font-size:medium;">今日の話題　　2009年6月13日<br />
池上　惇<br />
<br />
━━第25部━まちづくりの基軸とは━━━━━━<br />
私の教育人生　2　健康・幸福・アメニティ<br />
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br />
<br />
<br />
今日は、文化経済学会の大会が岐阜県の可児で開催される。<br />
予定討論を仰せつかったので、貴重なペーパーを事前にお送り<br />
頂き拝読する機会を得た。有り難いことである。<br />
<br />
お一人は、梅棹忠夫先生の文化施設論、続いて、フランスの<br />
文化政策における「文化への国民的合意」の経過と本質の研究、<br />
つづいて、創造都市の「創造、産業、享受」の三側面からの<br />
総合指標化、最後は、デジタル、サイバー社会における<br />
「クリエーター」創成の視点から見た日本著作権法の限界、<br />
であった。<br />
いずれも、研究対象に対する緻密で、正確な観察と、シンボル化、<br />
あるいは、指標化の手法を踏まえた力作である。<br />
<br />
私は文化経済学会＜日本＞を松田先生とご一緒に推進して、<br />
はや20年近くになるが、多数の若手、中堅の研究が力量を<br />
高めておられることが実感できた。<br />
よいシステムを構築しえたのであろう。<br />
顧問の一人としては、歓びに耐えない。<br />
<br />
これらの研究にとって、今後の研究課題は、何かを考えてみた。<br />
それは、前回のブログでも言及した「アメニティ」概念に<br />
関わっている。<br />
これまでの創造都市や著作権に関わる研究は、どちらかというと、<br />
文化施設・情報システムや創造する人々などの「文化資本・技術・<br />
人」の組み合わせに重点がある。<br />
いずれの研究も、文化に関わってくる産業や行政組織、それらの<br />
利益を非常に意識しておられる。<br />
創造という営みは、公共的な性格が強いから、一面では、すべての<br />
人々に開かれている。<br />
しかし、同時に、創造という無限の可能性を秘めた営みを、濫用や<br />
独占的営業のために犠牲にされてはならないという点では、<br />
プライヴァシー権や著作権制度による保護の対象でもある。<br />
‘公共財’といえるような性質がありながら、税を基礎として、<br />
供給されるわけではない。<br />
個人の血のにじむような努力の結晶のたまもの、あるいは、<br />
天才的なアイディアのひらめきによって支えられる。<br />
税や公共支援、寄附などもあるにはあるが、大部分は個人の<br />
稼得能力に依存する。その意味では、‘私的なもの’かもしれない。<br />
創造の営みと、その成果がもつ公共性と、生産や供給の過程から<br />
見た市場財としての性質、この矛盾を、どのように解決すべき<br />
なのか。<br />
<br />
私見では、その鍵は「アメニティ」を高める創造の営みと、<br />
「アメニティ」を享受する人々の出合う場、空間の文化的な<br />
価値を高めるという視点が、この問題、矛盾を解決する。<br />
つまり、このような状況では、創造者が同時に享受者になりうる<br />
のである。<br />
このような空間を「知的コミュニティ」と名付けるならば、この<br />
コミュニティでは、創造者の著作権に財産権を認める必要性は<br />
極めて低い。<br />
創造者であると同時に、享受者なのだから、無償で、著作権の<br />
恩恵を受ければ良いのである。<br />
しかし、この両者の関係は、市場における契約関係ではない。<br />
相互に信頼関係を持ち、創造の営みを尊厳あるものとして、<br />
その成果の価値を認め、人格権を尊重する。<br />
そして、他方では、創造者は享受者の生命や生活の営みを、<br />
友愛によって支える。<br />
ここには、相互に感謝の気持ちがあり、相互に「格」を尊重する<br />
習慣がある。<br />
ここには、「道徳のない社会」ではなくて、「社会関係資本のある」<br />
社会が存在する。<br />
このような空間を創る権利や責務を法と倫理で守ってゆけば<br />
良いのではないか。<br />
アメニティや景観と産業・生活が調和する社会がここから生まれる。</span>
]]></content:encoded>
    <dc:subject></dc:subject>
    <dc:date>2009-06-13T14:23:23+09:00</dc:date>
    <dc:creator>ikegami</dc:creator>
    <dc:rights>ikegami</dc:rights>
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