2010.07.14 Wednesday
私の教育人生41(本物と映像)−7「都市景観における地域固有性と象徴性」池上惇
━━━━第41部━本物と映像━━━━━━━
7「都市景観における地域固有性と象徴性」
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都市景観は、自然の固有性を共通の基礎とし、人に体化された文化資本と、有形物に体化されたそれとが、反響しあって形成される。人々の暮らしや生業の営みの中に、環境文化資本、文化遺産や自然遺産が入り込んで、文化的伝統を人々に伝える。
たとえば、都市の中の散歩道や歴史街道などは、その典型である。
多くの文化的伝統は、水や山林を制御するための知恵を生み出し、都市や地域に静穏をもたらす。さらに、伝統的な自治制度や水への制御技術などによって交通や移動、交流を生み出し、「知識結い」を創り出す。一人ひとりが職人技を持ち寄り、文化資源を活かしあう無数の企業や非営利組織が展開し、生活を芸術化し、文化資源を企業活動に取り入れる。
都市景観の再生は、多くの場合、文明による都市解体の危機を乗り越える。文化遺産の保護や活用が進み、水や緑が蘇生し始め、自然エネルギーによる動力が環境保護と産業発展を共生させる。地場産業が文化資源を活かして再生し、さらに、高度な技術革新へとつながる。ナノテクの時代、微小なチップのなかに多様な象徴型文化資本が凝縮されて、人々が感性を高め、芸術や学術に触れる機会を拡大する。
都市景観は農村的で、牧歌的な雰囲気を自然と文化遺産によって実現し、グローバルゼーションの荒々しい波をしっかりと受け止める。再生された都市のイメージを人々が共有できれば、アメニティ空間を積極的につくり出そうとする動きが始まる。都市の象徴型文化資本が都市再生の現実の動きを促進しうる。
ここで、地域固有型文化資本と、象徴型文化資本は、どのような発展を展望できるのか。
たとえば、創造都市における景観は、一方で、現場的な地域固有文化資本を活かした知識結いによって、文明が破壊しかけた都市景観を再生する。
そして、他方では、サイバー空間や映像空間に密着した象徴型文化資本を生み出し、相互に影響しあって、都市景観の蘇生した姿を人々に示し始める。再生された都市空間は「ほんもの」ではないが、映像などの姿で、人々に、自分たちが再生すべき「真実の姿を映像化する」。
この二つは、複合的存在となり、両者は饗鳴しあって、創造都市空間を創り出す。
この象徴型文化資本は、「ほんもの」というべき、生業の中から生み出された地域固有の文化資本の「文字や映像、写真、音声などによる表現」であり、都市の広報やメディアにおける紹介などにおいては、しばしば、映像化されている。
かつては、映像は単なる模倣の意味であった。しかし、それは、広報やメディアの、芸術的な表現と一体となって、現場の生業を反映し、さらに、現場では見えないもの、歴史や企業発生の過程、創業者の人物像、など、多様なイメージを映像化された都市景観に託して示すことができる。
都市の景観を航空写真や映像化、静止画像化して、凝縮して表示する場合を考えてみよう。これは、絵葉書のようにメッセージを郵送するときの手段として活用することもできるし、DVD化して商品化することも出来る。あるいは映画として登場人物の物語を記録することも出来る。この場合には、都市、例えば、京都の地域固有型文化資本が、象徴型文化資本として表示できる。
都市経営の場合には、このような「象徴型文化資本」を、メディアなどを通じて普及し、観光事業者に旅行事業として、パック化させることも出来る。「パック旅行の価格」が提示され、文化資本が貨幣価値で評価されて、「京都二泊三日、1パック交通費・宿泊費ともで、5万円」という表示が可能である。この表示は、象徴型文化資本の「貨幣資本化」であろう。
他方、地元のNPOが、個人や家族として観光や訪問の客を受けいれる場合にも、写真や映像、音声などの「象徴型文化資本」は、大きな役割を果たす。それは、貨幣資本に転換された価値として都市景観を位置づけるのではない。人々は、「象徴型文化資本」から学習して現地の「ほんもの」に関心や研究の意欲を持ち、現地を訪問し、地域固有の文化資本、その創造性に触れて感動し、あるいは、自己の生命の蘇生を図ろうとする。
象徴型文化資本が人々に与える構想力や感動などは、創造都市の持続的発展のために、なくてはならない「都市の鏡」となったのである。
7「都市景観における地域固有性と象徴性」
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都市景観は、自然の固有性を共通の基礎とし、人に体化された文化資本と、有形物に体化されたそれとが、反響しあって形成される。人々の暮らしや生業の営みの中に、環境文化資本、文化遺産や自然遺産が入り込んで、文化的伝統を人々に伝える。
たとえば、都市の中の散歩道や歴史街道などは、その典型である。
多くの文化的伝統は、水や山林を制御するための知恵を生み出し、都市や地域に静穏をもたらす。さらに、伝統的な自治制度や水への制御技術などによって交通や移動、交流を生み出し、「知識結い」を創り出す。一人ひとりが職人技を持ち寄り、文化資源を活かしあう無数の企業や非営利組織が展開し、生活を芸術化し、文化資源を企業活動に取り入れる。
都市景観の再生は、多くの場合、文明による都市解体の危機を乗り越える。文化遺産の保護や活用が進み、水や緑が蘇生し始め、自然エネルギーによる動力が環境保護と産業発展を共生させる。地場産業が文化資源を活かして再生し、さらに、高度な技術革新へとつながる。ナノテクの時代、微小なチップのなかに多様な象徴型文化資本が凝縮されて、人々が感性を高め、芸術や学術に触れる機会を拡大する。
都市景観は農村的で、牧歌的な雰囲気を自然と文化遺産によって実現し、グローバルゼーションの荒々しい波をしっかりと受け止める。再生された都市のイメージを人々が共有できれば、アメニティ空間を積極的につくり出そうとする動きが始まる。都市の象徴型文化資本が都市再生の現実の動きを促進しうる。
ここで、地域固有型文化資本と、象徴型文化資本は、どのような発展を展望できるのか。
たとえば、創造都市における景観は、一方で、現場的な地域固有文化資本を活かした知識結いによって、文明が破壊しかけた都市景観を再生する。
そして、他方では、サイバー空間や映像空間に密着した象徴型文化資本を生み出し、相互に影響しあって、都市景観の蘇生した姿を人々に示し始める。再生された都市空間は「ほんもの」ではないが、映像などの姿で、人々に、自分たちが再生すべき「真実の姿を映像化する」。
この二つは、複合的存在となり、両者は饗鳴しあって、創造都市空間を創り出す。
この象徴型文化資本は、「ほんもの」というべき、生業の中から生み出された地域固有の文化資本の「文字や映像、写真、音声などによる表現」であり、都市の広報やメディアにおける紹介などにおいては、しばしば、映像化されている。
かつては、映像は単なる模倣の意味であった。しかし、それは、広報やメディアの、芸術的な表現と一体となって、現場の生業を反映し、さらに、現場では見えないもの、歴史や企業発生の過程、創業者の人物像、など、多様なイメージを映像化された都市景観に託して示すことができる。
都市の景観を航空写真や映像化、静止画像化して、凝縮して表示する場合を考えてみよう。これは、絵葉書のようにメッセージを郵送するときの手段として活用することもできるし、DVD化して商品化することも出来る。あるいは映画として登場人物の物語を記録することも出来る。この場合には、都市、例えば、京都の地域固有型文化資本が、象徴型文化資本として表示できる。
都市経営の場合には、このような「象徴型文化資本」を、メディアなどを通じて普及し、観光事業者に旅行事業として、パック化させることも出来る。「パック旅行の価格」が提示され、文化資本が貨幣価値で評価されて、「京都二泊三日、1パック交通費・宿泊費ともで、5万円」という表示が可能である。この表示は、象徴型文化資本の「貨幣資本化」であろう。
他方、地元のNPOが、個人や家族として観光や訪問の客を受けいれる場合にも、写真や映像、音声などの「象徴型文化資本」は、大きな役割を果たす。それは、貨幣資本に転換された価値として都市景観を位置づけるのではない。人々は、「象徴型文化資本」から学習して現地の「ほんもの」に関心や研究の意欲を持ち、現地を訪問し、地域固有の文化資本、その創造性に触れて感動し、あるいは、自己の生命の蘇生を図ろうとする。
象徴型文化資本が人々に与える構想力や感動などは、創造都市の持続的発展のために、なくてはならない「都市の鏡」となったのである。






