2010.03.04 Thursday
池上惇 │ 私の教育人生 第36部 8 「公共資本の発見と理論化」(3/3/'10)
今日の話題 2010年3月3日
池上 惇
━━第36部━日本型経営とは━━━━━━
私の教育人生 8 公共資本の発見と理論化
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「公共資本」という概念は、私が名付けた。
しかし、これを、「経営者の公共道」として、経営の倫理を実践され
確立されたのは、60歳代の現場の経営人である。
出来るだけ早く英文にして学会誌に掲載しておこうと思うが、そのとき
は、お許しが出れば、連名で公表したい。
また、もうお一人の経営者は、「文化資本」という概念に関心を持ち、
「文化資本の経営」という実践を気付いてこられた。
私は、これを「福原経営学」と呼んでいる。
これもノーベル賞級の発見であると思う。
誰も信じてはくれないが。
大学院大学の申請にあたって、当初は、文化経済学、企業文化学、
文化政策学を基幹科目とし、企業文化学を福原経営学で展開していた
だく構想であった。
しかし、非常勤に基幹科目を担当させることは、まかりならんという
ご助言で、へえ、そんなものかと、引っ込めたが、何となく割り切れ
ない。
私の知る限り、福原経営学は海外の学者も注目する高度学術である。
勿論、経営者なのだから非常勤であるのは当然だが、講義や演習には
全く差支えがない。
何か理由があるのだろうから、まあ、いいや、と、断念した。
そのとき、おそらく、今の経営学や経済学では、「文化資本の経営」と
いうタイトルやテキスト名を聞いただけで、反発する向きもあるの
かな。とも考えた。
今回の「公共資本」も、ことによると、最初から嫌われてしまって、
アウト、ということになるかもしれない。
でも、それを恐れて提起も出来ないようでは、研究人とは言えまい。
そんなとき、偶然に、旧職場の同僚に出会った。
博士論文の話題になって、大変、興味のある論文が出たという。
それは、知的障害者の雇用における日本と、北欧の違いであった。
北欧では、知的障害者の雇用は、社会的にハンデキャップのある人々
に対する生存権保障であるそうだ。
これに対して、日本では、勿論、生存権保障の要素は前提ではあるが、
同時に、中小企業を中心に、多様な労働能力の重要な要素として、知的
障害者の労働能力を評価し、雇用を進めているという。
北欧の知的障害者雇用は、企業という私的な空間に政府などの公共
組織が介入して、生存権を保障しているという印象が強い。
ところが、日本では、公共組織の介入ではなくて、経営者の内発的な
良心を背景にして、健常者と障害者の多様性を活かすこと、それに
よって、両者がともに人間として発達することを目ざしている。
まさに、「人間発達」の経営である。
ここでは、経営の目的は「人間発達という公共目的である」といい
得る‘営み’がある。
このような日本企業職場の伝統や習慣は、「公共資本」ということが
出来よう。
知的障害者の雇用だけでなくて、日本企業の「伝統や習慣」には、多く
の公共的要素がある。
例えば、随分悪口を言われた「終身雇用制度」などは、従業員も経営
者も同じ人間で、家族のようなもの」という習慣が背景にあった。
これが、年寄りによる若者支配になってはならないが、対等な人間を
前提とした「心の通う家族」同様の人間関係によって、自治の習慣が
継承され、「人間発達」が保障されるのであれば、企業の内部だけで
なくて、外部でも通用する「公共性」であり、職場は、一種の「公共
空間」化する。
ここでも、経営者の内発的な良心が大きな役割を演じる。
なぜ、日本企業では、「人間発達」を保障する、家族同様の付き合いが
可能であったのか。
それは、そらくは、日本の工場が当初は地域と密接に関係していて、
地域の顔見知りが同じ職場で働き、仕事を覚えると、地域社会で、人々
が交流して、創意工夫、技能、技術を学びあい、地域の伝統や習慣と
して、「職人技」を形成していったからではないか。
職人技は、技能、技術を高める側面と、人格を高める側面との双方が
ある。
これらと、家族同様のつきあいとが相俟って、「人間発達」のための
公共空間が生まれる。
経営者は人格ある父の如く、「則天去私」の哲学を持ち、職人技を集団
のなかで育て、結合できるリーダーであることが多い。
この公共空間を活かす経営者が自分の仕事は、天地人の信託を受けた
もので、その恩に応え、人々の‘つながり’や‘ひろがり’のなかで
「地域と人の固有価値」を発見し、地域の顧客の欲求に応える。
そのとき、そこにも、顧客の「人間発達」という新たな局面=公共空間
が開けてくる。
地域と企業の公共空間が合流する場、ここに、新たな都市や地域の
再生がある。
中小企業は、今でも、この伝統を引き継いでいる。
かれらの職人技は地域社会の共有財産であることが多い。
大企業となると、地域から切り離されて大都市で勉強した人材が増え、
地域から離れて東京などに集中してしまう。
大企業組織は官僚制化しないと管理できないから、職人性よりも、
「能力主義」「実績主義」が通ってゆく。
大量生産・大量消費経済が生まれやすい。
「人間発達の場」としての、公共空間を生み出す「もと」は何だろう。
それは、職人技を人から人へと伝える媒体=地域における自治の伝統
と習慣であろう。
これらを「公共資本」とよび、文化資本と並ぶ、地域再生の、もう一つ
のコアとして位置づけたい。
―――――――――――――――――――――――――
公共資本 文化資本
↓ ↓
↓ ↓
―――――――――――――――――――――――――
地域再生=地域と都市の持続的発展
―――――――――――――――――――――――――
池上 惇
━━第36部━日本型経営とは━━━━━━
私の教育人生 8 公共資本の発見と理論化
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「公共資本」という概念は、私が名付けた。
しかし、これを、「経営者の公共道」として、経営の倫理を実践され
確立されたのは、60歳代の現場の経営人である。
出来るだけ早く英文にして学会誌に掲載しておこうと思うが、そのとき
は、お許しが出れば、連名で公表したい。
また、もうお一人の経営者は、「文化資本」という概念に関心を持ち、
「文化資本の経営」という実践を気付いてこられた。
私は、これを「福原経営学」と呼んでいる。
これもノーベル賞級の発見であると思う。
誰も信じてはくれないが。
大学院大学の申請にあたって、当初は、文化経済学、企業文化学、
文化政策学を基幹科目とし、企業文化学を福原経営学で展開していた
だく構想であった。
しかし、非常勤に基幹科目を担当させることは、まかりならんという
ご助言で、へえ、そんなものかと、引っ込めたが、何となく割り切れ
ない。
私の知る限り、福原経営学は海外の学者も注目する高度学術である。
勿論、経営者なのだから非常勤であるのは当然だが、講義や演習には
全く差支えがない。
何か理由があるのだろうから、まあ、いいや、と、断念した。
そのとき、おそらく、今の経営学や経済学では、「文化資本の経営」と
いうタイトルやテキスト名を聞いただけで、反発する向きもあるの
かな。とも考えた。
今回の「公共資本」も、ことによると、最初から嫌われてしまって、
アウト、ということになるかもしれない。
でも、それを恐れて提起も出来ないようでは、研究人とは言えまい。
そんなとき、偶然に、旧職場の同僚に出会った。
博士論文の話題になって、大変、興味のある論文が出たという。
それは、知的障害者の雇用における日本と、北欧の違いであった。
北欧では、知的障害者の雇用は、社会的にハンデキャップのある人々
に対する生存権保障であるそうだ。
これに対して、日本では、勿論、生存権保障の要素は前提ではあるが、
同時に、中小企業を中心に、多様な労働能力の重要な要素として、知的
障害者の労働能力を評価し、雇用を進めているという。
北欧の知的障害者雇用は、企業という私的な空間に政府などの公共
組織が介入して、生存権を保障しているという印象が強い。
ところが、日本では、公共組織の介入ではなくて、経営者の内発的な
良心を背景にして、健常者と障害者の多様性を活かすこと、それに
よって、両者がともに人間として発達することを目ざしている。
まさに、「人間発達」の経営である。
ここでは、経営の目的は「人間発達という公共目的である」といい
得る‘営み’がある。
このような日本企業職場の伝統や習慣は、「公共資本」ということが
出来よう。
知的障害者の雇用だけでなくて、日本企業の「伝統や習慣」には、多く
の公共的要素がある。
例えば、随分悪口を言われた「終身雇用制度」などは、従業員も経営
者も同じ人間で、家族のようなもの」という習慣が背景にあった。
これが、年寄りによる若者支配になってはならないが、対等な人間を
前提とした「心の通う家族」同様の人間関係によって、自治の習慣が
継承され、「人間発達」が保障されるのであれば、企業の内部だけで
なくて、外部でも通用する「公共性」であり、職場は、一種の「公共
空間」化する。
ここでも、経営者の内発的な良心が大きな役割を演じる。
なぜ、日本企業では、「人間発達」を保障する、家族同様の付き合いが
可能であったのか。
それは、そらくは、日本の工場が当初は地域と密接に関係していて、
地域の顔見知りが同じ職場で働き、仕事を覚えると、地域社会で、人々
が交流して、創意工夫、技能、技術を学びあい、地域の伝統や習慣と
して、「職人技」を形成していったからではないか。
職人技は、技能、技術を高める側面と、人格を高める側面との双方が
ある。
これらと、家族同様のつきあいとが相俟って、「人間発達」のための
公共空間が生まれる。
経営者は人格ある父の如く、「則天去私」の哲学を持ち、職人技を集団
のなかで育て、結合できるリーダーであることが多い。
この公共空間を活かす経営者が自分の仕事は、天地人の信託を受けた
もので、その恩に応え、人々の‘つながり’や‘ひろがり’のなかで
「地域と人の固有価値」を発見し、地域の顧客の欲求に応える。
そのとき、そこにも、顧客の「人間発達」という新たな局面=公共空間
が開けてくる。
地域と企業の公共空間が合流する場、ここに、新たな都市や地域の
再生がある。
中小企業は、今でも、この伝統を引き継いでいる。
かれらの職人技は地域社会の共有財産であることが多い。
大企業となると、地域から切り離されて大都市で勉強した人材が増え、
地域から離れて東京などに集中してしまう。
大企業組織は官僚制化しないと管理できないから、職人性よりも、
「能力主義」「実績主義」が通ってゆく。
大量生産・大量消費経済が生まれやすい。
「人間発達の場」としての、公共空間を生み出す「もと」は何だろう。
それは、職人技を人から人へと伝える媒体=地域における自治の伝統
と習慣であろう。
これらを「公共資本」とよび、文化資本と並ぶ、地域再生の、もう一つ
のコアとして位置づけたい。
―――――――――――――――――――――――――
公共資本 文化資本
↓ ↓
↓ ↓
―――――――――――――――――――――――――
地域再生=地域と都市の持続的発展
―――――――――――――――――――――――――






