2010.02.12 Friday
池上惇 │ 私の教育人生 第35部 9 「限界地域研究への挑戦」(2/12/'10)
今日の話題 2010年2月12日
池上 惇
━━第35部━持続可能な創造型ストック━━━━━━
私の教育人生 1 限界地域研究への挑戦
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「一番、困難な課題に挑戦してこそ、最高の価値あるものが生み出せる。」
この間、市民経済学を研究してきて、私なりに到達した、一つの結論
である。
そして、この‘最高の価値あるもの’とは、難題を解決できる‘創造的
なアイディア’つまり、智慧、と、困難の解決に立ち向かうときに、
人々が同意できる‘アイディア提供者のモラル’では、あるまいか。
そして、このモラルもまた、再困難な課題に挑戦する中で形成される
ものなのだ。
私は、教育人生の中で、‘最も困難な課題に敢えて挑戦する人々’に
出会っ
てきた。
一つには、自分自身が、‘必要とされるなら、誰も引き受けないことを
やろう’という決意を込めて、社会問題と向き合う習慣を身につけた
かった、ということがある。
これは、1950年代に生きた多くの人間に共通していたと思う。
戦争中は、国のいうままに生き、小学生でもアメリカ軍と闘うつもり
で訓練に励んでいた。
そこへ、敗戦だ。
そのとき、あの最中に、戦争に反対した人々がいた事を知る。
最も困難な課題に挑戦した人がいたのだ。古本屋で河上肇という
名前をみつけて驚いた。
彼は、あの厳しい状況の下で、自分を犠牲にして反戦活動を行った。
しかも、学者であって、経済や政治の実務からは程遠いはずの人が、
あえて最も困難な社会的な課題に最も苦手な領域に踏み込んで挑戦
する。
そのときは、逮捕されて、投獄され、反省もさせられるが、「とにも
かくにもいきのびて」死の直前に、よき時代に出会った。
心身をすり減らす、恐ろしい体験であったが、「いのちをかけた」結果と
して、彼の思想、とりわけ、ラスキン思想を学習し、人間復興の精神
に一貫して支えられた彼のアイディアと、徳の高い生き方は、次世代
の共通
の資産となった。
多くの次世代が育って「限界状況での課題に挑戦し、創造的なアイディ
アをもって、他人への責任を果たしながら生き抜く人々」が現れた。
国際的に見れば、ラスキニアンの生き方である。
日本では、河上精神といえるのかも知れない。
河上は、経済学者であった。しかし、彼は、ラスキンに従って、生命と
生活の直面する課題は、何でも、「選り好み」をしないで、学習し、研究
し、翻訳する事を厭わなかった。
また、漢詩を読み、食を楽しみ、老荘の思想や理想生活に憧れても
いる。
職業、研究、教育、趣味、などが渾然一体となって、限界状況に直面
する彼の人生を支え、問題を解決する創造的アイディアを生みだし、
モラルによって共感と協働を呼び起こした。
1980年代以降、私は、「仕事おこし」や地域づくりの教育論、さらには、
情報経済学に興味を持つようになり、そこで、梅棹忠夫先生の御著作
に接した。
地域における文化や種の多様性を基礎としながら、滅びようとする
伝統文化を再生し、神が創り上げるかのような「各地の固有性を活か
した産業、生活、建築、都市」をつくる構想があった。驚きながら、
ラスキンの文化経済学と共通する文化人類学の力量に脱帽した。
滅びようとする、最も、危機にあるもの、そこに、最高の価値がある。
いま、私は、多くの経営人から、ヒアリングによって、経営哲学を
学んでいる。
この世界では、解決不能といわれる困難な課題に挑戦しようとして、
「カネとリスクが大きすぎる」として排除されてきた技術者たちが、
協力し合って、創造的なアイディアをだしあい、見事に難題を解決
されていた。
経済というものは、人間が、ある犠牲を払って、人間としての生きる
途を見出し、実践することである。この犠牲と成果の関係を、「犠牲を
最小にする」かわりに「効用や利益を最大にする」ことだと、多くの
経済学者は説いてきた。本当であろうか。
自然と共生しながら、人々が歓びを共にする新社会の構想を独自に
次世代に残した。
最も困難な社会的課題、例えば、貧困や限界集落に挑戦するとき、
「労力やカネを使う割には効果が少ない」「同じカネを使うならば、より
雇用効果や所得創出効果が大きい地域を選ぶべきだ」とは、経済学者
がよくいう主張である。
しかし、そうではない。
貧困地域や限界集落を研究すれば、そこでは、必ず、その地域を時間
軸で見る。
その地域の形成、発展、成熟、衰退の経過や歴史だ。ここでは、形成の
ときに発揮される創造的アイディア、発展期に示される人々の協働の
姿、衰退期に示される資源の奪い合いや生存競争、それにもかかわら
ず継承されている伝統文化や習慣が発見できる。いわば、地域の記憶
だろう。
この記憶には、かけがえのない、固有の価値がある。
その一方では、限界集落や貧困地域を、伝統文化の発祥の地として、
位置づけてみよう。
そこには、農村文化と都市文化の交流、国際的な文化交流の中で、
評価されるべき固有のものが再発見できる。
異文化間の交流によって新たなアイディアや、独創的な産業や生活の
様式がつくりだされる。
地域の記憶には、新たな価値が付加されて地域の‘営み’のなかから、
各地で通用する建築文化の「型」や、食文化の「型」が生み出されて
普及してゆく。
経済学者が言うように、ここに労力や資金を投入せずに、別の場に
投入して、雇用などを一時的に増加させ、一定の所得増を実現した
としよう。
この金銭的な価値の増加分や効用と、限界地域で、獲得された固有
価値の発見や、発展と衰退の経験知の記録などは、比較できるもの
であろうか。
いや、絶対に出来はしない。
限界地域を研究して獲られるものは、ある意味で、絶対的な価値だ。
効用や金銭のように相対的なものではない。
この絶対的なものを取り扱うことは、従来、経済学の枠の外にあった。
しかし、市民経済学は、決然として、この枠外のものをしても、経済学
の中に持ち込み、それによって、経済学の枠組み自体を変革しようと
する。
効用を中心に扱う領域を限定し、経済学総体の一部に過ぎない事を
示すのである。
池上 惇
━━第35部━持続可能な創造型ストック━━━━━━
私の教育人生 1 限界地域研究への挑戦
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「一番、困難な課題に挑戦してこそ、最高の価値あるものが生み出せる。」
この間、市民経済学を研究してきて、私なりに到達した、一つの結論
である。
そして、この‘最高の価値あるもの’とは、難題を解決できる‘創造的
なアイディア’つまり、智慧、と、困難の解決に立ち向かうときに、
人々が同意できる‘アイディア提供者のモラル’では、あるまいか。
そして、このモラルもまた、再困難な課題に挑戦する中で形成される
ものなのだ。
私は、教育人生の中で、‘最も困難な課題に敢えて挑戦する人々’に
出会っ
てきた。
一つには、自分自身が、‘必要とされるなら、誰も引き受けないことを
やろう’という決意を込めて、社会問題と向き合う習慣を身につけた
かった、ということがある。
これは、1950年代に生きた多くの人間に共通していたと思う。
戦争中は、国のいうままに生き、小学生でもアメリカ軍と闘うつもり
で訓練に励んでいた。
そこへ、敗戦だ。
そのとき、あの最中に、戦争に反対した人々がいた事を知る。
最も困難な課題に挑戦した人がいたのだ。古本屋で河上肇という
名前をみつけて驚いた。
彼は、あの厳しい状況の下で、自分を犠牲にして反戦活動を行った。
しかも、学者であって、経済や政治の実務からは程遠いはずの人が、
あえて最も困難な社会的な課題に最も苦手な領域に踏み込んで挑戦
する。
そのときは、逮捕されて、投獄され、反省もさせられるが、「とにも
かくにもいきのびて」死の直前に、よき時代に出会った。
心身をすり減らす、恐ろしい体験であったが、「いのちをかけた」結果と
して、彼の思想、とりわけ、ラスキン思想を学習し、人間復興の精神
に一貫して支えられた彼のアイディアと、徳の高い生き方は、次世代
の共通
の資産となった。
多くの次世代が育って「限界状況での課題に挑戦し、創造的なアイディ
アをもって、他人への責任を果たしながら生き抜く人々」が現れた。
国際的に見れば、ラスキニアンの生き方である。
日本では、河上精神といえるのかも知れない。
河上は、経済学者であった。しかし、彼は、ラスキンに従って、生命と
生活の直面する課題は、何でも、「選り好み」をしないで、学習し、研究
し、翻訳する事を厭わなかった。
また、漢詩を読み、食を楽しみ、老荘の思想や理想生活に憧れても
いる。
職業、研究、教育、趣味、などが渾然一体となって、限界状況に直面
する彼の人生を支え、問題を解決する創造的アイディアを生みだし、
モラルによって共感と協働を呼び起こした。
1980年代以降、私は、「仕事おこし」や地域づくりの教育論、さらには、
情報経済学に興味を持つようになり、そこで、梅棹忠夫先生の御著作
に接した。
地域における文化や種の多様性を基礎としながら、滅びようとする
伝統文化を再生し、神が創り上げるかのような「各地の固有性を活か
した産業、生活、建築、都市」をつくる構想があった。驚きながら、
ラスキンの文化経済学と共通する文化人類学の力量に脱帽した。
滅びようとする、最も、危機にあるもの、そこに、最高の価値がある。
いま、私は、多くの経営人から、ヒアリングによって、経営哲学を
学んでいる。
この世界では、解決不能といわれる困難な課題に挑戦しようとして、
「カネとリスクが大きすぎる」として排除されてきた技術者たちが、
協力し合って、創造的なアイディアをだしあい、見事に難題を解決
されていた。
経済というものは、人間が、ある犠牲を払って、人間としての生きる
途を見出し、実践することである。この犠牲と成果の関係を、「犠牲を
最小にする」かわりに「効用や利益を最大にする」ことだと、多くの
経済学者は説いてきた。本当であろうか。
自然と共生しながら、人々が歓びを共にする新社会の構想を独自に
次世代に残した。
最も困難な社会的課題、例えば、貧困や限界集落に挑戦するとき、
「労力やカネを使う割には効果が少ない」「同じカネを使うならば、より
雇用効果や所得創出効果が大きい地域を選ぶべきだ」とは、経済学者
がよくいう主張である。
しかし、そうではない。
貧困地域や限界集落を研究すれば、そこでは、必ず、その地域を時間
軸で見る。
その地域の形成、発展、成熟、衰退の経過や歴史だ。ここでは、形成の
ときに発揮される創造的アイディア、発展期に示される人々の協働の
姿、衰退期に示される資源の奪い合いや生存競争、それにもかかわら
ず継承されている伝統文化や習慣が発見できる。いわば、地域の記憶
だろう。
この記憶には、かけがえのない、固有の価値がある。
その一方では、限界集落や貧困地域を、伝統文化の発祥の地として、
位置づけてみよう。
そこには、農村文化と都市文化の交流、国際的な文化交流の中で、
評価されるべき固有のものが再発見できる。
異文化間の交流によって新たなアイディアや、独創的な産業や生活の
様式がつくりだされる。
地域の記憶には、新たな価値が付加されて地域の‘営み’のなかから、
各地で通用する建築文化の「型」や、食文化の「型」が生み出されて
普及してゆく。
経済学者が言うように、ここに労力や資金を投入せずに、別の場に
投入して、雇用などを一時的に増加させ、一定の所得増を実現した
としよう。
この金銭的な価値の増加分や効用と、限界地域で、獲得された固有
価値の発見や、発展と衰退の経験知の記録などは、比較できるもの
であろうか。
いや、絶対に出来はしない。
限界地域を研究して獲られるものは、ある意味で、絶対的な価値だ。
効用や金銭のように相対的なものではない。
この絶対的なものを取り扱うことは、従来、経済学の枠の外にあった。
しかし、市民経済学は、決然として、この枠外のものをしても、経済学
の中に持ち込み、それによって、経済学の枠組み自体を変革しようと
する。
効用を中心に扱う領域を限定し、経済学総体の一部に過ぎない事を
示すのである。






