2010.02.04 Thursday
池上惇 │ 私の教育人生 第35部 6 「農産型生活の再生」(2/4/'10)
今日の話題 2010年2月4日
池上 惇
━━第35部━持続可能な創造型ストック━━━━━━
私の教育人生 6 農産型生活の再生
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
昨日、古池先生の御高著を書評した。
同時に、ブログを、と思いつつ、リースの支払いに関するやりとりに
貴重な時間を取られ、今日になりました。申し訳ありません。
最近は、実務を引き受けてくださる人が段々、減少して、自分でやる
ほかなしと腹を決めました。
やってみると、大変大事なもので、現金の移動に関わる友人たちの顔
を思い浮かべながら仕事ができて幸せです。
ただ、リース会社というのは、気位が高く、なれないミスをすると頭
ごなしにしかれます。辛いですね。
古池嘉和『観光地の賞味期限―「暮らしと観光」の文化論』春風社、
2007年9月。
は、書評で述べたように、現代観光事業の弱点を鋭く指摘し、本来の
あるべき観光の姿を示唆した労作である。
古池先生は、長年の友人で、瀬戸の陶磁器に魅せられて、研究を積ま
れて、その研究で学位を取られた。
先生とお話をしていて感じるのは、瀬戸を研究するなかで培われた職人
生産人への敬意である。
そして、かれら職人が、伝統の中で積み上げてきた、生産のノウハウ
や生活の技術、それらを共有する家族や地域の人々との‘つながり’、
愛着である。
陶芸という生産行為は、恐らくは、人類が生存の中で体験してきた
‘生きるための智恵’が結晶したものだろう。
土を‘土壌’とする農業や林業に対して、陶芸は、土そのものを原料
とするわけだから、鉱物にそれが本来ある形を与え、高熱で焼き上げ
て、変化を起させて、内在する美しいものを目に見える形にする。
陶磁器職人の生産現場を研究したものは、土と大気、炎のもつ圧倒的
なエネルギーに圧倒される。
そして、それを開花させる職人の意思と技は、歴代の名人や師匠たち
が長い歴史を経て創造し、型を作り継承したものである。
また、そのうちに、新たな人物が現れて、型を破ってあらたなものを
創り出す。
これは、革命的で、ダイナミックな営みでもある。
ひとたび、このような経験知を持ったものは、地域を単に物見遊山の
対象とされることに我慢がならない。
陶磁器に限らず、地域社会の歴史と伝統は、ひとびとが生きるために、
智慧を絞って、考え出し、腕を磨いて実践し、長い期間をかけて熟成
してきたものだ。
とりわけ、生産に関わる‘つながり’のなかで、共有された伝統の技
や、制作意欲は、例えようもなく重い価値を持つ。
これに触れることの出来る来訪者は心からの敬意を込めて、その地の
職人に接し、学習し、同時に、自分自身の人生における体験を背景に
して、多様な‘生産されたもの’が、なぜ、共感を呼びうるのか、を
考え、人生を振り返る機会を獲得する。
そして、生産者もまた、来訪者の人生経験を尊重し、共感に応え、反感
を受け止めて、自分達の心の糧とする必要があろう。
古池教授は、この両者のコミュニケーションが持続的に発展する土壌を
「観光地」において培う方法を提案する。
これは、地域力の涵養である。
そして、それによって、商業観光やモータリゼーション・大量生産・
大量消費・大量廃棄社会を制御することであった。
この力は、伝統文化というストックを基礎に、絶えず、それを今に活
かしうる新たなアイディアや、ノウハウによって成長する。
そうなれば、ここで、創造的アイディアをつくりだす人々を生み出す
こと、次世代にも、かかる人間をうみだす仕組みをつくることが必要
である。
この地域を統治する職人文化ともいうべきものは、筆者によれば、コン
パクトな町や村の自治や寄り合い、結いなどの‘ひとをつなぐ’文化に
よって持続的に再生される。
このしくみは、日本人の自然を敬愛し、先覚の智慧を今に活かす伝統
によって生み出されてきた。
この文化が産業や水系や交通に浸透し、エネルギー供給システムまで
をかえるとき、大きな変化が起こるであろう。
身の丈にあった暮らし方や産業は、いまや、技術の小型化、高性能化
によって可能となり、地産地消型の分散的経済が生まれてゆく。
技術の小型化の基礎には、生物の‘しくみ’から着想を得てナノテク
の機械的な技術、あるいは、バイテクへと展開するものが多い。
ノーバート・ウイーナーは、大脳生理学者と組んで、人間が過去の記
憶と現在の行動に関わる新たな情報を照合し、過去の判断を修正して
行動する‘しくみ’をもつことを明らかにした。
これを彼は、「学習」と呼んでいる。
また、細胞の研究が進むに連れて、精子の細胞が生命の設計図=DNA
を凝縮して保持しながら、ミトコンドリアを細胞内に持っていて酸素
を取り込み、エネルギーを獲得して活発に運動するさまが観察され、
そこから微細な機械装置を生産するアイディアが生み出されうること
を示した。
人間は、このような新技術が独走して人間生活を破壊しないように、
また、人間の身の丈にあった新技術の活用が可能となるように、学習に
よって、進化することが出来る。
新技術と新市場の開発の中で、地場産業が見直され、農林漁業が再生
し、文化財は、本来の景観や農林漁業の持つ雰囲気に中で光を放つ。
水や空気の清浄さが再生され、公共交通が、歩行生活と、自転車を含む
多様な交通手段と連携しながら再生する。
これらの学習と智慧によって、人間は、農村的生活に基礎を置きながら、
大規模な機械力を誇る大都市文明を制御し、地場産業を再生し、農村的
な生活様式を都市へも及ぼす。
その地に生きた文化が、都市文明を制御する時代。
それが近づいているようだ。
池上 惇
━━第35部━持続可能な創造型ストック━━━━━━
私の教育人生 6 農産型生活の再生
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
昨日、古池先生の御高著を書評した。
同時に、ブログを、と思いつつ、リースの支払いに関するやりとりに
貴重な時間を取られ、今日になりました。申し訳ありません。
最近は、実務を引き受けてくださる人が段々、減少して、自分でやる
ほかなしと腹を決めました。
やってみると、大変大事なもので、現金の移動に関わる友人たちの顔
を思い浮かべながら仕事ができて幸せです。
ただ、リース会社というのは、気位が高く、なれないミスをすると頭
ごなしにしかれます。辛いですね。
古池嘉和『観光地の賞味期限―「暮らしと観光」の文化論』春風社、
2007年9月。
は、書評で述べたように、現代観光事業の弱点を鋭く指摘し、本来の
あるべき観光の姿を示唆した労作である。
古池先生は、長年の友人で、瀬戸の陶磁器に魅せられて、研究を積ま
れて、その研究で学位を取られた。
先生とお話をしていて感じるのは、瀬戸を研究するなかで培われた職人
生産人への敬意である。
そして、かれら職人が、伝統の中で積み上げてきた、生産のノウハウ
や生活の技術、それらを共有する家族や地域の人々との‘つながり’、
愛着である。
陶芸という生産行為は、恐らくは、人類が生存の中で体験してきた
‘生きるための智恵’が結晶したものだろう。
土を‘土壌’とする農業や林業に対して、陶芸は、土そのものを原料
とするわけだから、鉱物にそれが本来ある形を与え、高熱で焼き上げ
て、変化を起させて、内在する美しいものを目に見える形にする。
陶磁器職人の生産現場を研究したものは、土と大気、炎のもつ圧倒的
なエネルギーに圧倒される。
そして、それを開花させる職人の意思と技は、歴代の名人や師匠たち
が長い歴史を経て創造し、型を作り継承したものである。
また、そのうちに、新たな人物が現れて、型を破ってあらたなものを
創り出す。
これは、革命的で、ダイナミックな営みでもある。
ひとたび、このような経験知を持ったものは、地域を単に物見遊山の
対象とされることに我慢がならない。
陶磁器に限らず、地域社会の歴史と伝統は、ひとびとが生きるために、
智慧を絞って、考え出し、腕を磨いて実践し、長い期間をかけて熟成
してきたものだ。
とりわけ、生産に関わる‘つながり’のなかで、共有された伝統の技
や、制作意欲は、例えようもなく重い価値を持つ。
これに触れることの出来る来訪者は心からの敬意を込めて、その地の
職人に接し、学習し、同時に、自分自身の人生における体験を背景に
して、多様な‘生産されたもの’が、なぜ、共感を呼びうるのか、を
考え、人生を振り返る機会を獲得する。
そして、生産者もまた、来訪者の人生経験を尊重し、共感に応え、反感
を受け止めて、自分達の心の糧とする必要があろう。
古池教授は、この両者のコミュニケーションが持続的に発展する土壌を
「観光地」において培う方法を提案する。
これは、地域力の涵養である。
そして、それによって、商業観光やモータリゼーション・大量生産・
大量消費・大量廃棄社会を制御することであった。
この力は、伝統文化というストックを基礎に、絶えず、それを今に活
かしうる新たなアイディアや、ノウハウによって成長する。
そうなれば、ここで、創造的アイディアをつくりだす人々を生み出す
こと、次世代にも、かかる人間をうみだす仕組みをつくることが必要
である。
この地域を統治する職人文化ともいうべきものは、筆者によれば、コン
パクトな町や村の自治や寄り合い、結いなどの‘ひとをつなぐ’文化に
よって持続的に再生される。
このしくみは、日本人の自然を敬愛し、先覚の智慧を今に活かす伝統
によって生み出されてきた。
この文化が産業や水系や交通に浸透し、エネルギー供給システムまで
をかえるとき、大きな変化が起こるであろう。
身の丈にあった暮らし方や産業は、いまや、技術の小型化、高性能化
によって可能となり、地産地消型の分散的経済が生まれてゆく。
技術の小型化の基礎には、生物の‘しくみ’から着想を得てナノテク
の機械的な技術、あるいは、バイテクへと展開するものが多い。
ノーバート・ウイーナーは、大脳生理学者と組んで、人間が過去の記
憶と現在の行動に関わる新たな情報を照合し、過去の判断を修正して
行動する‘しくみ’をもつことを明らかにした。
これを彼は、「学習」と呼んでいる。
また、細胞の研究が進むに連れて、精子の細胞が生命の設計図=DNA
を凝縮して保持しながら、ミトコンドリアを細胞内に持っていて酸素
を取り込み、エネルギーを獲得して活発に運動するさまが観察され、
そこから微細な機械装置を生産するアイディアが生み出されうること
を示した。
人間は、このような新技術が独走して人間生活を破壊しないように、
また、人間の身の丈にあった新技術の活用が可能となるように、学習に
よって、進化することが出来る。
新技術と新市場の開発の中で、地場産業が見直され、農林漁業が再生
し、文化財は、本来の景観や農林漁業の持つ雰囲気に中で光を放つ。
水や空気の清浄さが再生され、公共交通が、歩行生活と、自転車を含む
多様な交通手段と連携しながら再生する。
これらの学習と智慧によって、人間は、農村的生活に基礎を置きながら、
大規模な機械力を誇る大都市文明を制御し、地場産業を再生し、農村的
な生活様式を都市へも及ぼす。
その地に生きた文化が、都市文明を制御する時代。
それが近づいているようだ。






